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聖母マリア被昇天の喜び
ペトロ 梅原彰神父
 聖母マリアの祝日は一年間に数多くありますが、中でも私たち日本人にとって最も喜ばしく、 懐かしいのは、聖母マリアの被昇天の祭日です。 初めてキリストのみ教えの種が日本に蒔かれた のは、鹿児島にフランシスコ・ザビエルが来日した1549年8月15日の聖母被昇天祭の日です。 この日ザビエルは日本を聖母マリアの聖心に奉献しました。 それ以来、わが国民は終始、聖母に対して絶大な尊敬を捧げてきたのです。 特に、世界の歴史にも類を見ない、豊臣、徳川幕府の長い迫害時代、 キリシタンたちは殉教の場に引かれていく時はいつもロザリオを唱え、聖母マリアの連祷を唱えて足を運んだのでした。 当時のカトリック信者が聖母マリアに対して、いかに深い信心を持っていたかが察せられます。 ザビエルの渡来後、多くの宣教師の努力により、わずか50〜60年間に100万人の信徒を数えたにもかかわらず、 豊臣秀吉をはじめ徳川家康の治世には猛烈な迫害にほとんど全滅したかに思われたのでした。 が、その300年近い迫害にもかかわらず、慶応元年、西暦1885年3月17日に奇跡的な出来事が起こったのです。 と言うのは、当時、外国人だけに信教の自由が認められていた時、建立された大浦天主堂を見学に来た人々の中に、 カトリック信者が発見されたという出来事です。 しかも、そのきっかけになったのが天主堂の聖母像であったということも不思議に思えるのです。
 当時の大浦天主堂の主任司祭はフランス人のプチジャン神父でしたが、その時の様子を教皇大使に次のように書き送っています。 「3月17日の正午過ぎ、14〜15名の老若男女が聖堂の門の所に来たが、その様子は普通の見物人とは思えず、 何か仔細ありげに見ていたので、門を開いて案内し、中央祭壇の前にひざまずいて聖体を礼拝していると、 40歳あまりの婦人がひざまずき、胸に手を当てて、ここにいる我々は浦上の者で、浦上はおおむね皆、私たちと同じ心を持っている と言い、サンタ・マリアのご像はどこですかと尋ねたのです。 これを聞いた私(プチジャン神父)は驚きと喜びでいっぱいで、聖母のご像の前に導いたのでした。 するとその前にひざまずき祈ったのです。ほんとうにサンタ・マリアです。 おん子ゼウスを抱いておられる、と叫び、我々は12月25日に主ゼウスの誕生を祝う。 ゼウスは真夜中にうまやで生まれ、艱難辛苦の内に成長し、33歳に我らのため十字架にかかって死去されたと先祖から聞いている、と話したのです。」 これこそ聖母のご保護によるものと言わねばなりません。 終戦が8月15日であったことも、特に聖母マリアが私たち日本人を見守ってくださっていることの印として受け取りたい気持ちがします。
 イエズスを宿した聖母マリアの尊い御体は、我々と同じように墓の中で朽ち果てることなく、 霊化され、天に上げられ、栄光を受けられたのです。復活し昇天されたキリストは、その御母のお体を腐敗にまかせることを望まれないのは言うまでもありません。 無原罪の御母、罪なき御母、十字架の協力者である聖母を早くもご自分の復活と昇天に完全にあやからせてくださったのです。 キリストは「私はあなたがたを復活させる」と約束されました。 この約束は必ず実現するわけですが、聖母マリアは特別なお恵みをもって、すでに霊肉ともに喜びに入っておられるのです。 聖母マリアは、私たち人間の初穂として天国の喜びに入られたのです。
 マリアの被昇天は、私たちにとって遠く離れた出来事ではなく、私たち信仰者の終末的な完成 を示すものです。