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『古びた一本の十字架に出会う』
ラファエル 松本武三 神父
 元旦に「主が御顔を向けて、あなたに平安を賜るように」とモーゼの口を通して、神さまから祝福をいただいたばかりなのに、 はや2月。先月中旬、久方ぶりに東京に行く機会があり、その折り、一本の十字架に出会った。
 先の大戦に敗れ、廃墟となった東京の片隅で、廃品回収、「ばた屋」さんをしながら、生きるのに必死な困難の中で、 明日への希望と力を与えた「蟻の町」、コンベンツアルの聖フランシスコ修道会のゼノ修道士や、 大学教授の娘で、恵まれた家庭に育った北原怜子さんらの献身的な生きざまで、 今もよく知られているあの「蟻の町」に、1951年の聖霊降臨の主日に立てられた、最初の十字架です。
 かってあったその「蟻の町」は、現在、りっぱな建物、カトリック中央協議会、潮見教会にさま変わり。 その新しい潮見教会の聖堂入り口に、「蟻の町」のこの素朴な古びた木の十字架が飾られているのです。

 その時思った。困難な苦しさの中の「蟻の町」の人たちの信仰の心と、りっぱな建物、組織、 便利な今の教会の信仰の心と、どちらが幸いな魂の信仰なのだろうかと。 また、私たちの甲子園教会も、来年献堂50周年を迎えようとしていますが、初期の献身的な生き生きとした共同体の信仰の喜びが、 深く大きく育っているのだろうかと。信者さんの数も増え、見た目は大きくなっているけれど、 信仰の喜び、祈り、奉仕の心は深まっているのだろうかなどと。

 それで、神さまは、「回心して、福音を信じなさい」と、灰の祝福に招いてくださるのです。 皆さんが、昨年の枝の主日にいただかれ、持って帰られた緑の枝は、ほこりがつき、 すっかり枯れてしまっているのではありませんか。わたしの部屋の枝は、黄色に枯れてしまっています。 どうぞ、家に置かれている枯れた枝を教会に持って来て、一年の導きに感謝され、焼いて灰にし、 頭にその灰を受け、新たな復活の信仰の喜びをいただけるように、四旬節を心新たに迎えましょう。
 ミサに預かり、ご聖体をいただき、神さまがいつも一緒にいてくださり、守り導いてくださるのだ。 あれこれ悩まないで、自分に出来ることを喜んで捧げようと、新鮮な信仰を取り戻しましょう。