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『喜びの復活祭に向って、灰の祝福を!』
ラファエル 松本武三 神父
 「ホザンナ、ホザンナ!」とイエスを賛美して迎えた喜びの「枝」は、枯れ、焼かれ「灰」になり ました。皆さん、一年の暮らしを守り、導いてくださった恵みに感謝し、また、明日に向って喜んで 歩めるように、「回心して、福音を信じなさい」と、灰の祝福をいただき、復活祭に向けて、よき四 旬節を過しましょう。

 皆さん、ご聖体をいただいて、平安を魂にいただき、イエスさまと一緒だから、どんなことがあっ ても負けないと言う、感謝の心が深まっていますか。わたしは、今年、司祭叙階の恵みをいただいて 40年になりますが、ちっとも成長しない出来の悪い司祭です。
 心からミサを捧げていますが、ご聖体のキリストに仕えるより、自分の方が威張っていて、ますま す、ご聖体のキリストが、小さなものになっているような気がしています。
ご聖体をいただいても、小さなことで、心乱し、平安を失い、愛の乏しい自分ですから。

皆さんは如何ですか。ミサに行かなくても、ご聖体を拝領しなくても、平気になっていませんか。

 「灰」という漢字は、手に持つ「火」。「火」は、聖霊、神さま、光の方。 私たちは、ミサで、「ご聖体」を手にいただき、手に持って、口に入れています。

 今の私たちのご聖体拝領の姿は、「灰」の漢字のような姿です。
 愛の乏しい汚れた私なのに、誠の愛なる清らかな神さまが、うまやの幼子のように、お出でくださる。何と勿体ない有難さでしょう。

 それで、「灰の水曜日」、教会に集い、「回心して、福音を信じなさい」と、灰を頭に受け、聖なる家族を泊めない私ではなく、粗末なうまやのような私ですが、 どうぞ、お泊りくださいと喜んで迎える、愛のある信仰を育てるように、招かれているのです。

 喜びの復活祭を迎えることが出来るよう、幸いな四旬節を過しましょう。