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ご聖体の恵み
ペトロ 梅原彰神父
 6月23日はキリストの聖体の祭日です。イエスはこの世から父のもとへ帰られる前に、 弟子たちと最後の晩さんを催されました。聖体を制定される前に、上着を脱いで手ぬぐいを腰にまとわれ、たらいに水をくんでこられました。 一人ひとりの弟子の前に跪いて、彼らの足を洗い、手ぬぐいで拭いていかれたのです。 ペトロはびっくりして、「そんなことはしないでください」と断るのですが、イエスは弟子たち全員の足を丁寧に洗われたのです。 イエスは席に戻り、「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。 わたしはそうである。ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである」(ヨハネ13章)。
 弟子の足を洗われるイエスの行いは、彼らにとって忘れがたい模範になったに違いありません。
 お互いの足を洗うこと、他人に心から奉仕すること、他人を自分より大切にすること、これはすべてのキリスト者に課せられた課題です。 イエスは弟子の足を洗った後、一同が過越祭の食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美を捧げ、それを割って弟子たちに渡しながら、 「取って食べなさい。これはあなたたちのために渡されるわたしの体(からだ)である」と言われました。 当時のパンは薄くて大きなもので、家長がそれを割って自分が食べ、他の家族に順に回して食べさせるという習慣がありました。 日本でも私の子どもの頃、同じお櫃からご飯を分けて食べました。それはそこに集まった人々の一致を表すのです。 イエスがその習慣を用いながら、それを変え、ご自身はパンを食べずにそれを弟子たちに与えておられるのです。 食事の終わりに、ぶどう酒の入った杯を取り、感謝を捧げ、弟子たちに与えて「皆、この杯から飲みなさい。 これはわたしの血であり、多くの人のために流される契約の血である。これをわたしの記念として行いなさい」と命じられたのです。 この命令はずっと受け継がれて今日に至っています。感謝の祭儀として、今もごミサで毎日行われています。 イエスはご自分の御体と御血をいのちの糧として私たちに与えられます。 イエスは人々のために死んでいかれ、イエスによって、人々は罪と死の暗闇から解放されます。 この尊いご聖体を毎週、毎日でもいただくことができます。 私たちのために自分のいのちを与えてくださったように、私たちも自分のいのちを周りにいる人々に与えることが大切です。 ご聖体はまさに愛のシンボルであり、私たちの生き方を教えて下さる光なのです。