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死者のために祈りましょう
ペトロ 梅原彰神父
 11月は死者の月です。日本では真夏の暑いお盆の頃、すでに亡くなった親、兄弟、姉妹、友人、 恩人を思い起こし、先祖のために祈るという美しい習慣があります。  カトリック教会では、11月、ちょうど自然界が紅葉し、寒風に吹かれて落葉する頃、先祖を思い、 どの教会でも墓参し、お祈りを捧げます。当教会も11月3日(日)11時15分甲山墓地で、亡くなっ た方々のためにお祈りを捧げます。
 私たちが生きているのは神の恵みによるものですが、先祖の御蔭おかげによって今があるのです。 そのため先祖に感謝を捧げるのは当然のことであります。 熱心な方は月命日にお墓参りをしておられます。 私たちは、必ず死ねば神の前に裁きを受けます。ある人は神の恵みのうちに死に、 一直線に天国に入り、イエスとマリア、諸天使と諸聖人とともに天国の喜びに入ります。 ある人は、神の清さと親しさの中で死ぬので、いずれ確実に天国には入れるのですが、 何らかの小罪があったり、償いがまだ果たされていないと、必要に応じて清めを受けねばならないのです。 たとえるなら、鉄の一部が錆び、その錆を取り除くために溶鉱炉に入れて錆をとって完成品にしてもらうのです。 そのような人たちは煉獄に入って、清めをある一定期間受けなければなりません。 この教えは「彼(ユダ・マカバイ)は死者が罪から解かれるよう彼らのために贖いのいけにえを献げたのである」 (2マカバイ12・45)にあります。教会は初期の頃から死者の記念を重んじ、死者のために祈りを捧げていました。 それは死者が清められて、神の至福直観に至ることができるためです。 このような観点から故人のためにミサを依頼し、ミサの素晴らしい恵みを故人のためにプレゼントして、 私たちの功徳を故人のためにお譲りするのです。 その功徳をいただいた故人は、いち早く天国に上げられるのです。 これを諸聖人の通功と言います。私たち世に生きている者が、善行、苦行、犠牲を捧げることによって、 故人が早く天国へ旅立てるのであれば、素晴らしい愛の証となります。