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スペイン外国宣教会(旧ブルゴス会)のこと
 スペインの首都マドリッドから北に直線で100キロ程行った大きな都市ブルゴス。 その大司教区で「偉大な先輩フランシスコ・ザビエルに習い、 教区の司祭で外国での宣教の希望にある者があれば送りたい」という主旨に賛同した司祭たちによってつくられた会が、ブルゴス会です。 その点でいわゆる修道院を持つ修道会とは違います。
(ブルゴス会は後に本部をマドリッドに移し、スペイン外国宣教会と改名しましたが、以下あえて慣れ親しんできたブルゴス会を使います)
 その中でもフランシスコ・ザビエルと同じように日本に行って、イエスの教えを宣べ伝えたいという望みを持って、 母国教区での司牧より、遠い日本での宣教を自分の使命として来られた方々が、甲子園教会の歴史の中で長く、大きな関わりを持ってくださいました。
 当初、日本では大阪教区の指導のもとで、話し合いで信者の少ない四国での宣教、司牧を担当することになりました。 たまたまその一人ダヴィテ神父が例外的に大阪教区の夙川教会を助けることになったのがきっかけで、創立まもない甲子園教会の司牧を全面的に引き受けることになったのです。
 その後、四国の宣教と平行して大阪教区の司牧も積極的に行い、一時は桜ノ宮、田辺、洲本、箕面、関目、阿倍野、園田、布施、門真の諸教会の司牧、 西成のエマウスの活動に尽力し、教区の大きな助けとなりました。
甲子園教会は金銭面でも多大な恩恵を受け、何度も窮地を救われました。
 何よりも、自由な雰囲気の中で信徒の自主性を尊重した司牧をして下さり、甲子園教会はその導きの中で小教区としての道を歩むことが出来たのです。
 一枚の写真それは、ある夏の武庫川河原の「甲子園教会バーベキュー大会」の風景です。 その時の思い出を当時の信徒の方に伺いました。主任司祭のセグラ神父様は、 金の球を何個も用意して来て、信徒たちに「ペタンク」という、球を当てて遊ぶゲームを教えてくださったそうです。もともと陽気なスペインの神父様方ですが、 すでに大阪教区に散り散りになって司牧をなさっている神父様方が、時々は集まって「ペタンク」に興じ、分かち合い、励まし合っていらっしゃったことでしょう。

 30周年の少し前頃から、甲子園の神父さまたちは「私たちは甲子園にあまり長く居すぎた。 やがては離れる時がくるだろう」と思いもかけぬことを口にし始めました 。そして30周年が終わり、大震災を過ぎ越して、その後始末もほぼ見えた頃、その予言が現実のものとなりました。 大司教様とブルゴス会は司牧の助力についての新しい契約を結び直し、大阪教区から高松教区へと働く場を徐々に移していくことになります。
 ブルゴス会が離れて行こうとするちょうどその時、教会はあわただしい状態でしたので、 甲子園教会の歴史の上にブルゴス会が与えてくれた大きな支えと愛に感謝の気持ちを充分に表す機会もないまま、今日に至ってしまいました。
 今、この50周年を祝うにあたり、改めて甲子園教会の信徒全てがブルゴス会の神父さま、すでに世を去られた方々を含め、 すべての神父さまに感謝と、これからの神父さまの使命のために、ご健康のために、心からの祈りを捧げます。
神父さま方の大きな豊かな愛があってこの50周年を迎える事が出来ました。
ブルゴス会の神父様方、本当にありがとうございました!
甲子園教会があるかぎり、神父様方のことを私たちの心に留めます。
前列左からビデライン師、オルザイス師(故)、安田大司教、セグラ師、レクンベリ師(故)中列左からレルガ師、カシミロ師(故)、レドンド師、フェルナンド師 後列左からマンソー師、イスマエル師、カンブラ師