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ニケア・コンスタンチノープル信条
ラウレンチオ 小池二郎神父
 最近、カトリック甲子園教会で、日曜日のミサで、毎回、信仰宣言としてニケア・コ ンスタンチノープル信条を唱えていますが、現在の日本カトリック教会では、これは 三つの選択肢の一つです。 しかし世界ではミサ中に唱えられる信条としては、 なおこ れが主流です。なお、第二バチカン公会議以前、数百年以上、これがミサ中のただ一 つの信仰宣言で、ベートーベンの有名な荘厳ミサ曲のクレドもこれによっています。
原ニケア信条とは
 まず、ニケア・コンスタンチノープル信条の基礎となった原ニケア信条について説明します。
 原ニケア信条は、アリウス主義に反対して、正統信仰を表明するため、 ニケア公会議(第1回公会議、325年6月19日‐8月25日)の教父たちが発表したもので、 御子は御父に対してホモウシオス(ギリシャ語で、同実体的、同一本質的という意味)であると表現し、 比較的に短く、「聖霊を信じる」で終わっていますが、直後に、 アリウス主義に対する4つの排斥文が付け加えられています。 この信条の成立のために、特に聖アタナシオが活躍したと言われています。
 原ニケア信条は次の通りです。
 「われは信ず、全能の父、すべての見えるものと見えないものの創造主である神を。
 神の子、主イエス・キリスト、すなわち、父の本姓より神のひとり子として生れ、 神からの神、光からの光、まことの神からのまことの神、造られずして生まれ、 父と同一実体である。 天と地にあるすべてのものは、彼によって造られたり。 彼は、われわれ人間とわれわれの救いのために下り、受肉し、人となり、苦しみ、3日目に復活し、 天に昇って、生者と死者を裁くために来るであろう。また聖霊を(われわれは信ず。)
 そのため、『(神の子は)なかった時にあった。』、『生れる前にはなかった。』、『存在しないものから、 または他の本性、または本質から造られた。』、『神の子は変化する。』というものを、 カトリック教会は排斥する。」(改訂版「カトリック教会文書資料集」27頁)
 「ニケア・コンスタンチノープル信条」のことを、ただニケア信条と呼ばれることがありますので、 上掲の信条は特に原ニケア信条と呼ばれます。  
二つの信条の違い
 ニケア・コンスタンチノープル信条(以下、場合によりニケコンと略記)は、 原ニケア信条をもとにして作られたものですが、両者を比べると次の点が異なっています。
 (1)ニケコンは「おとめマリアより御からだを受け」、「ポンシオ・ピラトのもとにて」など、キリスト論が詳しい。  (2)しかしニケコンでは、原ニケア信条の「父の本姓(ウシア、本体と訳すこともできる) より神のひとり子として生れ」の下線部分が省略されています。
 (3)ニケコンは聖霊についても詳しい。
 (4)さらに、ニケコンには、教会、洗礼、復活、永遠の生命が加わり、
 (5)ニケコンには原ニケア信条のような排斥文がありません。

 ニケア・コンスタンチノープル信条は、第1コンスタンチノープル公会議(第2回公会議、 381年5月‐7月30日)の後に、次第にできたという説がありますが、実際はそうではないようです。
 上掲の「カトリック教会資料集」は、ニケア・コンスタンチノープル信条をコンスタ ンチノープル信経と呼び、次のように書いています。 「この信経は『ニケア信経』 (筆者注、信経も信条も同じラテン語の訳)を引きのばしたものに過ぎないかのように、 17世紀末から『ニケア・コンスタンチノープル信経』と呼ばれているが、 この呼び方は正しくない。この信経が381年の公会議において作成されたものであるか、 それ以前にすでにあったものかについては、学者たちの意見は一致していない。」(37頁)
 この信条を、わたしたちは、当面は、習慣通り、やはりニケア・コンスタンチノープル信条と呼ぶことにいたしましょう。
 これまで、信条全文の記載などで少々長くなりましたが、最後に、二つの信条について、思いつく幾つかのコメントを書くことにします。
ヨータ一字の問題
 説明に重なるところがあるかも知れませんが、第1回公会議は325年の第1ニケア公会議。 ここでは、イエス・キリストは人間よりはるかに優れているが、神ではないというアリウス主義の排斥が最大の課題。 御父と御子はホモウシオス(同じ本姓の)を挿入することが必要でした。 ホモイウシオス(よく似た本姓の)は、前者に@すなわちギリシャ語のヨータが一文字増えただけですが、 それなら、アリウス主義者たちを満足させることが出来たでしょう。しかし正統派は到底受け入れることが出来ませんでした。 ホモウシオスは一種の哲学用語ですから、これを信経に入れることについて、 強い反対もありました。哲学用語も神の啓示を正確に伝える道具として、 時には欠かせないものだと思います。
 日本語訳では、「父と一体なり。」となっています。日本語としては自然ですが、 果たしてこれで原文の意味が正確に伝わるでしょうか。 「母と子は一体」などとも言います。 日本語の自然さ、簡略さを立てれば、正確さが立ちません。正確さを立てると、日本語が難しくなります。
フィリオクエで対立
 第2回公会議は、381年の第1コンスタンチノープル公会議でしたが、 それは主に、聖霊は神ではないと言うマケドニウス派の排斥とニケア信条の確認と拡大が課題でした。
 ここでひとこと言っておきたいことは、ニケコンの「聖霊は父と子よりいで」と簡単に唱えますが、 実はこれはもとのテキストにはなく、 もとは「聖霊は父よりいで、父と子とともに拝みあがめられ」となっていました。 聖アウグスティーヌスを始めとする西の神学者は「と子」(日本語では2字、ラテン語のフィリオクエ)それを入れたかったのです。 「と子」が正式にニケコンに入った記録はトレド第3教会会議(589年)からです。
 オリゲネス(185−253)は教父の中でもひときわ優れた神学者であると言われますが、 彼であってもイエス・キリストのことを、 「御父の完全なイメージ(写し)」と言っていますが、 教会が聖霊の導きのもとに生む信条の必要性と有用性が分るように思います。