iՃbZ[W
ē
~Tƍu
̐lƉv
̂m点
ANZX
sʐ^ipj
TCgɂ‚N
ロザリオ・光の神秘 ーイエスの宣教ー  
ラウレンチオ 小池二郎神父
 旧約時代の司祭たちは、宣教はしなかったように思われます。 彼らの主な仕事は犠牲(いけにえ)を捧げることでした。神の意思を伝え、宣教するのは預言者の仕事でした。 しかし、イエスは、最大、唯一の大祭司であり、同時に最大の預言者でした。
 イエスは、人々の救いのために、十字架の上で、ご自分をお捧げになる前に、 旧約を終結し、福音を伝えられました。
 福音を宣教によって、旧約を終結させたと言うこともできます。
 イエスは神の国の到来を告げ、人々を回心に招かれます。
 マタイとマルコは、イエスの宣教開始を次のように伝えている。
 イエスは、「悔い改めよ、天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。 (マタイ4章17節)
 イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。 悔い改めて、福音を信じなさい」と言われた。(マルコ1章14-15節)
 福音とは何か。それはよい知らせのことです。なぜそれがよい知らせなのか、 イエスのみ言葉によって理解しなければなりません。
 イエスとその教えをより深く知るためには聖書全体を調べる必要があります。 そうすることは教会の使命ですが、必ずしも信者個人の務めではありません。 しかし、わたしは、司祭も一般信徒も、今まで以上に、イエスの「語録」に親しくなるとよいと思います。
 イエスの語録は、わたしの感じでは、聖書全体の百分の一ほどです。 その中でも好きな聖句とより親しくなることは悪いことではありません。
 イエスの語録は比較的に短いものですが、それにしても、今回、その全部を紹介することはできません。 いくつかを拾って、ここに写し書きします。
 「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。」(マタイ5・4‐45)
 「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」(同18・22)
 「富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、 盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、 あなたの心もある。」(同6・20-21)
 「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加 えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自ら思い悩む。 その日の苦労は、その日だけで十分である。」(同7・33-34)
 「求めなさい、そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。 門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」(同7・7-8)
 八つの幸いの教え(同5・1-12)は暗記したい聖句です。 また、マタイ6章9節から13節に書かれている主の祈りは、イエスの最大の教えでもあります。
 職務として、イエスの使命を手伝うカトリックの司祭にとって、ミサを捧げ、 その他の秘跡を執行する以外に、宣教は重大な使命です。 第二バチカン公会議の「司祭の役務と生活に関する教令」は、それをカトリック司祭の第一の務めとしています。 「まず信じなければ何人も救われない。司教の協力者としての司祭の第一の義務は、 神の福音をすべての人に告げることである。」(4)  しかし、一般の信者も、受けた洗礼により、キリストの司祭職と預言職とに与っており、宣教の義務を負っています。
 他人に宣教するためには、まず自分に宣教する必要があり、自分に宣教するためには イエスの言葉を黙想する必要があります。よく黙想するためには、イエスの言葉を覚えることが大変役立ちます。 読みながら考えるより、覚えて考えるほうがよいからです。
 光の神秘の第三の神秘は、ロザリオを唱える人に、福音に親しむことを奨励しています。