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契約、その三
契約を守るなら…あなたたちは私の宝となる
出エジプト記19章5節
ラウレンチオ 小池二郎神父
   3モーセが神のもとに登って行くと、山(シナイ山)から主は彼に語りかけて言われた。 「ヤコブの家にこのように語り、イスラエルの人々に告げなさい。 4あなたたちは見た、わたしがエジプト人にしたことを。また、あなたたちを鷲の翼に乗せて、 わたしのもとに連れてきたことを。 5今、もしわたしの声に聞き従い、 わたしの契約を守るならば、あなたたちはすべての民の間にあって、わたしの宝となる。 世界はすべてわたしのものである。6あなたたちは、わたしにとって、祭司の王国、聖なる国民となる。 これが、イスラエルの人々に語るべき言葉である。」(出エジプト記19章3節‐6節)

 4節の「わたしの契約」は具体的に何か。それは主に「十戒」(出エジプト記20章1節から17節と申命記5章から21節)を守ることです。 「主に」と言いますが、それ以外にも守るべきことがありました。
 まずは十戒 十戒は優れた法です。一つの掟を除いて、すべてが人間の良心に刻まれた普遍的な法です。 大半が自然法であり、人間が作ったどの実定法にも優先します。 万人の心の奥深くに記されていますが、文字で記されたことに重大な意義があります。 その公布を命じられたモーセは次のように言っています。 「わたしが今日あなたたちに授けるこのすべての律法のように、 正しい掟と法を持つ大いなる国民がどこにいるだろうか。」(申命記4章8節)
 十戒の内容は2箇所に記されていますが、それが十戒と言われることは、 申命記4章13節と10章4節に記されています。 しかし、これが十にどのように振り分けられていたか聖書には記されていません。 カトリック教会とルーテル派プロテスタント、 その他のプロテスタント、そして現在のユダヤ教が、多少違った三種の分け方をしています。 わたしたちの第三戒「あなたは安息日を聖日として守らなければならない」だけは、自然に基づいているとはいえ、自然法とは言えないと思います。 第一戒の「唯一の神を礼拝しなさい」は最も重大な掟です。これは自然法と言っていいと思います。
 聖パウロはローマの信徒への手紙1章18節から32節で、神がおられることを知らなかったと何人も言い訳ができないと言っています。 神がおられ神を礼拝することが人間の勤めであるとする社会では、第三戒で、聖日が制定されたことは自然なことではないでしょうか。
 唯一の神を礼拝する掟も、育った環境と受けた教育しだいでは、それほど分かりやすい掟とは思えません。たとえば、日本では難しいのではないでしょうか。
 一週間を7日とすることは聖書が人類に最初に広めた習慣ですが、これは人間の生理にも適ったもののように思われます。
 いずれにしても、十戒のすべてが、神法であり、神による実定法です。 そして、これを総括するものは、イエス様が明言されたのですが(マタイによる福音22章40節参照)、 神と人への愛です。法が精神によって実行されるべきことは言うまでもありません。
 新約の到来によって、旧約の多くの規制は取り払われましたが、十戒は例外であり、 キリストに従う者は、旧約に属す人にもまして、これを大切にしなければなりません。
 十戒は、モーセの時以来、「契約の箱」に入れられて、イスラエルの民とともに移動しましたが、紀元前6世紀のはじめ、 バビロンのネブカドネッザル王によってエルザレムが侵略された時から行方がわからなくなっています。
 過越祭 契約の中身の主なものは十戒ですが、その他にも守るべき掟がありました。 その第一は、過越を毎年記念することです。 これは神が、恵みとして、 イスラエルの民を奴隷の状態から自由の身へ開放するためにエジプトから導き出されたことを記念するものです。 わたしたちは、信仰によって、これが、主イエス・キリストの十字架と復活によって、 人類を罪から解放されたことを記念する復活祭の前表であると考えています。
 イスラエルの民は毎年1歳の汚れのない牡の子羊をほふり、 食べ切ることができる人数が集まって、その肉を食べ、神に感謝しつつ、過越の出来事を祝わなければなりません。 実際、今も熱心なユダヤ教徒はこれを毎年行なっています。わたしたちは、この子羊をイエス・キリストの前表と考えています。
 過越祭の規定は、出エジプト記12章43節から47節に記されています。
 割礼 出エジプト記12章43節‐47節に続いて「割礼」が述べられています。 これは、イスラエルの民が神の民であることを忘れないために、定められた重要な儀式です。 最初、アブラハムに命じられましたが(創世記17章10節)、モーセによって、再確認させられた掟です。 割礼の言葉は、第一正典の旧約聖書中だけで、50回も使用されています。
 食の規定 モーセの掟の中に、食べ物の規定もあります。 ユダヤ人(ここではイスラエル人と区別せずに使います)が豚肉を食べないことは有名です。 しかし、鰻も食べることができません。鱗のない魚に入っているからです。蟹も食べることができません。 魚ではないからです。レビ記11章の大半が、詳細な食の規定に当てられています。
 食の規定は、イスラエルの民に清さを保たせるための教育手段として、 また一定の期間、異教徒との交わりを避けさせるための手段として定められたと考えられています。

 ノアの契約とアブラハムの契約は一方的契約ですが、契約が相互的であることが普通、契約の特徴です。 そしてモーセの契約(シナイの契約とも言います)も神と人との相互契約であり、 イエス・キリスト以前の1200年、以後の2000年、そして現在、イスラエル人を拘束し続けています。
 「見よ、わたしは今日、あなたたちの前に祝福と呪いを置く。あなたたちは、今日、 わたしが(モーセを通して)命じるあなたたちの神、主の戒めに聞き従うならば祝福を、 もし、あなたたちの神、主の戒めに従わず、今日、わたしが命じる道をそれて、 あなたたちとは無縁であった他の神々に従うならば、呪いを受ける。」(申命記11章26節‐28節)  次回は「新約」の契約をテーマにする予定です。