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『分かれ道には、神さまがおられる』
ラファエル 松本武三 神父
 はや2月。2日は大切な「主の奉献」の祝い。私たちの贖い主、幼子キリストが、マリアに抱かれ、神殿にお入りになった。
 その幼子にキリストを観た老シメオンのことば「異邦人を照らす光」にちなんで、この日、教会では、祭壇に灯すローソクを祝福するのが古くからの伝統です。
 また3日は節分。冬から春への季節の変わり目。分れ道に立つことです。
 人生の分れ道での良き選び、幸いな選びをいただけるように祈るのは、信仰の大切な心ではないでしょうか。

 田舎に行くとよく、分れ道にお地蔵さんが、カトリックの国、イタリアなどでは、十字架やマリアさんが、静かにたたずんでおられる。 それで、人は、シメオンに倣い、分れ道で、「神さま、わたしはこの道を選びたいのですがよろしいでしょうか。 どうぞ、わたしを祝福し、お導きくださいますように」と祈るのです。
 1月の成人式もそうですし、日本人が気にする厄年も同じ心。受験もそう。
 そんなの迷信、祈って何になるのと思われるかもしれませんが、ほんとにそうでしょうか。
 むしろ、人生の節目に、自分の人生の歩みをよきものにと、姿勢をただし、努力の汗が実るように頑張るとともに、謙虚に、親である神さまの祝福をいただくのは、 良き心ではないでしょうか。
 それに早くも25日は灰の水曜日。昨年いただいた枝はすっかり枯れています。

 皆さん、焼かれて灰になり、清められ、新たな力をいただき、ご復活に向って、分れ道の良き準備の時を過すことができるように、 早足で駆け抜ける2月をともに祈り、歩みましょう。