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『見ないで信じる人は幸い』
ラファエル 松本武三 神父
  皆さん、ご復活を心から祝い感謝できるよう、聖週間の典礼の豊かな招きに集い黙想しましょう。 そして、を受けられる方々とともに、新たな再スタートの恵みを喜び祝いましょう。
 どんな人でも、新たな再スタートをきれることは有難いことです。突然、病気になり、苦しんでいた人が、 病院で癒され、退院する時、家族みんなが、お医者さんに、お陰さまで助かりましたと感謝する時の喜び。 不況の最中で職を失い、困っている時、誰かの世話で職が見つかり、これで家族が生きて行けますと、お礼を いう時の喜び。新たな再スタートは人さまざまです。でも、もっとも困難な再スタートは、魂の再スタートで はなでしょうか。どれほど多くの人が、このことで苦しみもがいていることか。
魂の再スタートは、愛から、愛の源、神さまからいただくものです。

 ヨハネ福音書20章で、復活されたイエスが、鍵がかかっている部屋に入ってこられ、真ん中に立ち、イエスの 釘跡を見、触れてみなければ決して信じないと疑う弟子のトマスに語りかけます。
 「トマスよ、わたしの手を見なさい。手を伸ばし、わき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になり なさい。」と。トマスはびっくり仰天、思わず、「わが神、わが主よ。」と声をあげます。

 イエスは慈しみのまなざしで、トマスに「見たから信じたのか。見ないで信じる人は幸いである。」と。 人は悪いことをすると、悪いことから逃れようするものです、加害者は、責任から逃れようとし、被害者は、 相手を責め賠償を迫ります。でも、イエスとトマスの関係は違います。
 被害者のイエスと加害者のトマスの新たな出会い、再スタートとなる幸いな出会いになる関係です。相手を責 めるのではなく、慈しみの心でトマスを包むイエス、おのれの弱さを素直に認め、イエスのために生きようとす るトマス。イエスとの最初の出会いのトマスは、弱さを知らない、自分のために生きようとする出会いでした。

 釘跡に触れる出会いは、弱さをしり、自分のためではなく、イエスのために自分をささげたい というまことの弟子に成長する出会いです。
 トマスとは、双子という意味がありますが、まさに、トマスはイエスの心に双子のように成長して、 生涯をイエスに奉げた愛の使徒になりました。

 皆さん、イエスさまは、トマスの信仰に倣いなさいと、また、招いてくださったのです。アーメン。