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『信じる者は 救われる!』
ラファエル 松本武三 神父
 今日は、「信じる者は救われる」という言葉を味わって見たいと思います。
「信じる者は救われる」という言葉を聞くと、何やらあやしいペテン師まがいのことと思われるかも知 れません。新聞紙上で、よく、騙されたと言う被害者の声が、話題になることもありますから。
しかし、この言葉は、信仰の根源的な救いの言葉であるように思います。大切なのは何を信じるかです が、今日は、何を信じるかと言ったことより、信じる者は救われると言った、 信じる人の心の思い、信 じる者の平安を話したいと思います。

 そもそも人は信じることから始まります。普通、誰も自分の誕生日を疑う人はいません。親から教え られた誕生日を小さい時から親に教えられ、誕生日を祝われながら育ってきたのです。
 また、普通、誰も自分の親が、親であるのはあたりまえ、疑うなどしません。だから幸せなのです。 しかし、もし、疑いが起これば地獄でしょう。

 信じているからこそ、ごく自然な、日常の生活が平安に過ごせているのです。
もし、朝の出勤時の電車が、目的地に行くのが、信じられなくなったらどうでしょう。たちまち不安に なり、途惑うでしょう。
もし、大切なお金を銀行に預けると安心と思えなかったら、不安でしょう。 もし、大病で手術の時、お医者さんを信じられなければ、怖くて手術が受けられないでしょう。
 皆さん、生活のあらゆることは、信じ、信頼していることによって、成り立っているのです。信じられ なくなればなるほど、人は神経質になり、眠れなくなり、病気になってしまうでしょう。 実に、信じ ることは、人間生活の基本なのです。
 神への信仰も同じことです。神さまは、わたしのまことの親、父。わたしを愛してくださり、何があっ ても、守ってくださると信じられる人は、心に平安をいただくでしょう。

 赤ちゃんと母の関係は、信仰が何であるかを知るカギです。カトリック教会で、昔から一番愛され てきた絵画は、聖母子の絵です。幼子を胸に抱く聖母です。
聖母子の絵は、素朴で、単純、具体的な生活に根付いた愛の信仰の表現です。
カトリック教会の信仰は、そのイエスの名によって、自分を委ね、喜び、感謝して生きる生活です。
信じるという言葉は、聖書では、任せる、委ねる、希望するという意味でもあるのです。
皆さん。よき夏過ごしましょう。 アーメン。