iՃbZ[W
ē
~Tƍu
̐lƉv
̂m点
ANZX
sʐ^ipj
TCgɂ‚N
洗礼者ヨハネの誕生日
 洗礼者ヨハネ誕生日の時に、私たちが感謝することのしるしとして、誕生日を祝うよう、命に意味と目的があるのを認識するようにと教会は招いています。

 今日、洗礼者ヨハネの生涯を見、彼の私たちへの贈り物とか挑戦とか何か意味のあるメッセージをたぶん発見するかも知れません。

 何よりもまず洗礼者ヨハネはキリストの従兄だけではなく、主の選ばれた本物の預言者なのです。そのため私はその予言者の意味を調査しようと考え、書きました。

(預言者と預言的行動)
 預言者とは何ですか? 預言者とは、特定の時間と場所に人びとと一緒にいる人のことです。 神の民を代表して、預言者は神に話しかけます。選ばれた者なので預言者は神と特別な関係を持ち、 神の声に注意深く耳を傾け、神の民に話しかけ、時のしるしを読み、神の民と人類全体に対する神の計画に照らして、それを解釈するように命じられています。

 預言者が未来を予測し、将来なにかが起こるかを予言できる人であるというように考えることがあるかも知れませんが、それは預言者ではありません。 未来を予測することと預言者はなんの関係もありません。

 預言者の主な任務は、特定の時間と場所において、言葉、技、生涯によって神を証しすることです。預言者は人類の心の中に火をともし続けます。 言いかえれば、一見絶望的で、不可能な状況にも関わらず、預言者は皆に希望を持ち続けるよう力を与えるのです。本物の預言者は希望の担い手です。

 確かに私たちの中に自分の洗礼式のことを覚えている方がいるでしょう。その洗礼式によって、私たちは預言者になり、イエスのことを述べ伝える義務を持っています。

 私たちは自分の預言的召命を意識しているでしょうか。今の普通でない時、どのようにして皆、特に自分に近い人びとに希望をもたらしたいと望んでいますか?