キリストの受難と復活に共に歩む:悲しみから喜びへ
4月に入り、教会は聖週間を迎える準備に忙しくなります。私もこうして文章を書きながら、故郷で経験した深く意味のある伝統を思い出していました。
聖週間の中で最も印象的な体験の一つは、「悔い改めの行進」でした。私たちの共同体では、裸足で1キロメートルを歩きながら、交代で木製の十字架を担ぎ、教会へと向かい、
「十字架の道行き」の祈りを捧げます。そして、復活祭の朝4時には「サルボン(Salubong)」が行われます。
この美しい祭儀では、喪に服したマリアの像から天使が黒いヴェールを取り除き、復活したキリストとの再会の喜びを象徴します。
これらの伝統は、私の信仰を深め、キリストと共に歩むことの意味を教えてくれました。
キリストの受難に共に歩む
裸足で十字架を担ぐことは、単なる苦行ではなく、キリストの苦しみに共に歩むよう招かれていることを思い起こさせます。
私たちはそれぞれ、人生の中でさまざまな十字架を背負っています。試練や困難、悩みや苦しみ…。
しかし、聖週間は、これらの苦しみを信仰もって担い、キリストが共に歩んでくださることを信じるよう私たちを招きます。
また、「悔い改めの行進」は共同体の支えの大切さを思い起こさせます。シモン・キレネがキリストの十字架を担ったように、
私たちも互いに助け合うようにと呼ばれています。特に、疲れ果て、迷い、人生の重荷に押しつぶされそうになっている人々に寄り添うことが求められます。
この伝統は、私たちが一人ではないこと、そして信仰とは共に生きるものだということを教えてくれます。
復活祭:悲しみから喜びへ
サルボンは変容の瞬間です。喪に服したマリアが復活したキリストと出会い、黒いヴェールが取り除かれると、その悲しみは喜びへと変わります。
これは、どんな闇も永遠に続くことはなく、どんな苦しみにも意味があることを思い出させてくれます。
キリストの復活は、罪と死に対する究極の勝利であり、私たちにも希望を与え、苦しみの中から立ち上がる力を示してくれます。
サルボンが早朝4時に行われることも重要な意味を持っています。夜明け前の暗闇の中で行われることで、どんなに暗い時でも、
やがてキリストの光が差し込むことを示しています。早朝のこの時は、私たちが霊的に目を覚まし、復活したキリストを迎える心構えを持つようにと促しているのです。
私たちがこれらの伝統に直接参加することはできなくても、聖週間と復活祭の霊的な意味は変わりません。
• 十字架を受け入れる:苦しみを信仰もって受け入れ、それが救いへとつながることを信じる。
• 互いに支え合う:信仰は一人で生きるものではありません。共に助け合いながら歩んでいく。
• 復活を喜ぶ:どんなに人生の試練が重くても、復活祭は神の愛が最終的に勝利することを思い起こさせる。
この聖なる期間を通して、私たちが個人として、また共同体として、黙想し、祈り、礼拝を共にする時間を持つことができますように。
聖週間と復活祭は、単なる儀式ではなく、キリストとの出会いの時です。キリストと共に歩み、罪に死に、そして新しい命へと復活する招きなのです。
この思いを皆さんと分かち合えることを感謝しています。この季節を心開いて迎え、キリストの受難、死、そして復活が、私たちの信仰、希望、
そして愛を新たにしてくれるよう願っています。

