あなたは、まだ6位?
ダニエル 李 昇倫 神父
神学校の学園祭に合わせてマラソン大会がありました。私は運動には自信がありましたが、忍耐力が求められるマラソンのような運動は苦手です。
しかもそのコースが学校の裏山をなんと5回も上り下りして学校の校庭を大きく回るのです。登山に弱い私にはなかなかやる気が出ませんでした。
でも、例外は許されない強制参加だったので、泣きながら走るしかありませんでした。
出発の合図で、私は走り始めました。一生懸命走りました。もちろん私の目標は1位ではありません。途中で諦めない、倒れないで完走することが、私の決めた目標ラインです。
いよいよ最後の1周だけを残していました。この時、私は本当に諦めたい気持ちでいっぱいでした。
たった1周だけを残しているのに、喉のギリギリまで息が詰まって耐えられませんでした。私の速度が遅くなったのか、私を追い抜く人もいました。私は思いました。
「もう何人もわたしを抜いて行ったし、もう諦めよう。どうせ賞は5位までじゃないか。
諦めよう。賞ももらえないなら、苦労して走る必要はない。もう諦めよう。諦めたい。諦めよう」
そう考え始めると、私は走るのをやめて歩きました。また、2人が私の横を通り抜けていきました。別に気にならないのです。
そもそも私の目標は「完走」だったから!と自分に甘えながら、歩いたり走ったりを繰り返しました。ついにゴールラインを通過。その時、順位のチェックをする先輩の声が聞こえました。
「惜しい! ダニエル! 6位だよ」
歩いていなかったら5位までに入っていたことになります。しかし、私は賞をもらえないと思って、結果が出る前に諦めました。
このことがあってからは、どんな時でも諦めないと誓いました。
人生は果てしない挑戦の連続だと言われます。何の挑戦もせずに早めに諦めることは、大切な自分の人生を大切にしないことになります。
どのような状況であれ、最善を尽くして生きることが大切です。そのためには、明確な目標がなければなりません。
つまり、意味のある目標があってこそ、最善を尽くして生きていく動機が生まれるのです。
私が走ることを諦めたのは、目標を失ったからです。賞をもらえるという目標を失ったことで、まだ遅くはなかったのに走らずに歩いたのです。
このように目標を失うことで、自分の人生を、最善を尽くして生きていけなくなるのです。
神様は私たちに明確な目標を与えました。悔い改めればゆるしていただけます。悔い改める人に神の国が開かれています。今、私たちは悔い改めの時期を過ごしています。
諦めなければ、悔い改めれば、神様のゆるしを得て、神様の家に入ることができます。
諦めない真の悔い改めを通して、私たちの救い主、イエス様の誕生を記念し、喜びのクリスマスを迎える時間になればと思います。