主の復活おめでとうございます
アウグスチノ 川邨 裕明 神父
主の復活おめでとうございます。
私も甲子園教会の主任司祭に復活しました。これからもよろしくお願いします。
ところで皆さん、いまさらこんなこと聞けないってことないですか?
例えば名前です。何回も顔を合わせているので、今さら聞くわけにもいかない。そんなときどうするか?先輩の神父は、
神父「名前は?」信徒「○○ですけど」神父「それはわかってる。下の名前や」信徒「○○です」これで切り抜けてました。
これは教会あるあるなのですが、キリスト教についてこれは今さら聞けないことがあると思います。
それは三つあって、①なぜ神であるイエスが人間世界に来られたのか?そして、②十字架にかけられて殺されなければならなかったのはなぜか?
そして、③復活の意味は?ではないかと思う。ある信徒がその問題に行きあたってしまったのです。
悩んだ末に、尊敬できる先輩信徒に質問をぶつけました。
先輩「そんなこともわからへんのか、簡単やんか」「お前はどう思てるんや?」信徒「それが分からへんから聞いてるんですわ」
「教えてくださいよ」先輩信徒「いや実は、俺も知らん」三つの問い、その答えは難しい。そこで、ある話からそれを考えたいと思う。
登場するのは中学の同窓生二人、卒業して一年後に再開した時の話です。
●メニューの漢字が読めない
20年前ぐらいの前の話
当時俺の家はいわゆる片親ってやつで、すげぇー貧乏だった。子供3人養うために、かぁちゃんは夜も寝ないで働いてた。それでもどん底だった・・・
俺は中学卒業してすぐ働きに出た。死ぬほど働いた。遊んでる暇なんてなかった。1年ぐらいして同級生に久しぶりに会った。飯食いに行こうって話になった。
メニューの漢字・・・読めなかった。読めたのは、一つだけカタカナで書いてあった「オムライス」だけ。
同級生は「焼きそばとごはん」って注文した。無知な俺は「じゃあ俺はオムライスとごはん」って店員に言った。店員、固まってた。
クスクスって笑い声も聞こえてきた。
そしたら同級生「さっきのキャンセルね!!俺もオムライスとごはん!!」
店出た後、同級生が一言 「うまかったな」って言った。「仕事がんばれよ」って言ってくれた。
泣けてきた 心の底から人に「ありがとう」って思った。そいつは今でも親友です。
この同級生は素晴らしい人です。同じところに下りてきてくれて、一緒に立てる人が本当の友達になる。
最初の質問にこの話をかぶせてみると、こんな風になるのではないかと思う。
なぜ神であるイエスが人間世界に来られたのか?それは神が人間を愛して人間と同じところに立とうとされたからだと思う。同級生のように。
十字架にかけられて殺されなければならなかったのはなぜか?同級生は俺を守るために、自分の注文をキャンセルして、友と同じものを注文した。
同じように、神は人間を守るために一番の苦しみを引き受けられたのだ。
そして、復活の意味は。俺は友人のおかげで助かった。それが復活の出来事。イエスの復活は、同時に弟子たちの復活の物語でもあった。
イエスの復活は、イエスのおかげで復活した人に重なる。同級生のメニュー変更で俺が救われたこと、それがまさに復活。
復活によって私たちはイエスといつまでも喜びのうちに親友として付き合うことができるようになったのです。これが復活の意味です。
復活したイエスと、親友としてお付き合いしてゆきましょう。