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「与えること」
アウグスチノ 川邨 裕明 神父
 一つの物語を通して、「与えること」の意味を考えてみましょう。
あるところに美しく立派な庭園があり、その中に一本の大きな美しい竹がありました。
主人はその竹を愛していました。竹はその愛に応えて、風を受けて踊っているかのよう。互いに心が通っていました。

 ある日、主人が竹に近づいて優しく話しかけました。「竹よ、私はお前が必要なのだ。」
 ついにその日が来ました。竹は喜びを体全体に表し、踊り始めました。
 竹「私はいつも準備できています」
 主人「竹よ!お前を切り倒さなければならない。」
 竹「えっ?私を切ってしまうのですか?役には立ちたいが、切るのだけはやめて!」
主人「もしお前を切らないと、お前は私の役に立たない」庭園は水を打ったように静まりました。悲しい瞬間!竹は頭をたれ、小さい声で答えました。「切ってもかまいません。」 

 主人は竹に告げました、「竹よ、私の一番好きな竹よ。私はお前の枝も葉も切り落とさなければならない」
 竹「それだけはやめてください。」「私の美しさがなくなってしまう。」
 主人「そうしないと、お前は私の役に立たないのだ。」竹はもう一度、頭をたれながら、うなずいて、切ってしまうことに同意しました。

 三度目、主人は竹に心から優しく最後の言葉をかけました、「竹よ、お前の幹を真っ二つに割り、中身もみんな取ってしまわないといけないのだ。」
 竹「お望み通りにしてください。切り倒してお望み通り使ってください」
 主人は、竹を切り倒し、枝も葉も切り落としました。幹を二つに割って、中身をキレイに取ってしまいました。そして、竹を優しく抱いて、泉がわき出る泉まで運びました。 竹の一方の端が泉に置かれると、水晶のような水が竹の幹を通って庭園の外に流れ出ました。

 庭園の外には畑が広がっていましたが、とても乾燥していました。長い間雨が降らなかったから。 米も水がなくて芽を出すことができないでいた。水によって、すべてがよみがえったのです。そこに住む人々は悲しみ意気消沈していました。食べ物がなかったからです。 竹を通って流れ出た水は、人々に希望と幸せを再び与えたのです。

 ミサの中で、最後の晩餐が記念されます。その中心には三つの言葉があります。「取り上げられる」「裂かれる」「与えられる」です。 この物語を通して、その三つの言葉の意味を味わいたいと思います。