「お世話になりました」
アウグスチノ 川邨 裕明 神父
二回目の担当は、わずか半年余りで終わります。短い間でしたが、お世話になりました。
人事異動で担当を命じられた時、一年間お願いしたいとのことでしたが、その半分で使命を終えることになりました。
期中の中途半端な時期であったために、着任の時より離任するときの方がはるかに困難でした。信徒の皆様には混乱と困惑を与えたことと思います。
紙面を借りてお詫び申し上げます。
この半年間に重点的に取り組んできたことを三つお話ししたいと思います。ミサ、病者訪問、葬儀です。
新しい典礼書が公表されてから、予想通り主日ミサも週日ミサもたくさんの式文の中から典礼を組み立てることが可能になりました。
実感では無限の選択肢があるかのようです。
ミサは教会活動の、典礼の、そして祈りの頂点です。教会活動の中心がミサなのです。
ミサがいかに大切で、私たちにとってなくてはならないものであることはコロナ禍で痛感しました。
ミサを大切にするためには、事前の準備、とりわけ打ち合わせが大切です。その日のそのミサに最もふさわしい典礼文や聖歌を選び、
典礼奉仕者全体で共有する場として。さらに、典礼を活性化するべく新しい提案が交わされる場になればと思います。
病者訪問は、来るのを待つ教会からこちらから出向く教会づくりに欠かせない活動です。さまざまな切実な問題を抱え、
教会に通うことが困難な信徒はこれからも増えるでしょう。それらの信仰の仲間に対するケアの必要性は高まってゆくと思われます。
病者訪問はその一つの表現です。一緒に祈り聖体を分かち合うことで、共同体としての一致が保たれます。私は、訪問から大きな恵みを頂きました。感謝に堪えません。
この取り組みが、司祭、修道者から教会全体の取り組みになり、病者だけでなくすべての信徒とつながってゆく活動になることを願っています。
葬儀、甲子園教会の基礎を作り一つの時代を支えてきた仲間を見送ることが増えてきました。その働きに感謝を表すために葬儀は非常に重要です。
家族葬が増えて、信徒の参加が限られる中、教会共同体全体が葬儀の時間に合わせて祈りを捧げるなど、みんなで見送ることが必要です。
セサル神父さんを迎え、甲子園教会の家族的な共同体として歩みが聖霊に導かれて。ますます豊かになるように、祈っています。
これからの甲子園教会をたとえるなら「満塁ホームラン二発」でしょう。その心は、八点(発展)間違いなし。お後がよろしいようで。