新型コロナウイルス感染症の影響によって、新しい生活様式が提唱されました。
コロナウイルスが身近にあることを前提とした生活をすることが求められているのです。
しかし、二千年も前にイエス様は、信仰に基づく新しい生活様式を提案していたのではないでしょうか。
それが今日の福音です。
新型コロナウイルス感染症の影響で、外出自粛が要請されました。
仕事が休業や自宅勤務に切り替わり、学校の授業も休みになりリモート授業が行われたりして、家族が家に一緒にいる
時間が格段に増えた家庭が多かったと思います。
街角の公園や芦屋川の河川敷に、家族連れの姿がよくみられました。
その反面、親が施設に入所している場合などは、家族であっても面会ができなくなるケースがありました。
家族が離れて暮らしている場合、移動の自粛によって家族が会う機会を失ってしまうこともありました。
家族が一緒にいる時間が長くなったことで、家族の関係やあり方を見直す機会になった家族もあるでしょうし、
逆に会えなくなってしまったことで家族の絆について考える機会を得た家族もあったのではないでしょうか。
家族が一緒にいることで、家族のありがたさを感じてより親密な関係を作った家庭もあるでしょうし、
家族間の濃厚な接触により互いに傷つけ合ったり、時にはDV、家庭内での暴力にまで発展してしまったりする家族もありました。
たぶん二千年前のイエス様の時代も家族の関係は現代とそれほど違わなかったでしょう。
もちろん、イエス様もヨゼフさまとマリアさまとの家族を大切にしておられたのは間違いありません。
家族は社会の基礎の共同体であり、そこが崩れては社会も崩壊してしまいます。
だから、家族は守られなければならないですし、大切にされなければならないのです。
イエス様もそのことは十分承知されていました。
その上で家族に勝る新しい関係があると言われたのです。
第二朗読でパウロが言うように、洗礼によってイエス・キリストに結ばれて教会という新しい家族関係が生まれるのです。
イエス様は、そのような新しい生活様式を提唱されたのです。
その新しい生活様式を大切に育ててゆこうとされたのです。
私たちは、コロナと共存するために新しい生活様式を身に付けなければなりません。
長期間、公開ミサがなくなり教会活動も極度に制限されたこの期間は、自分の信仰を見直す機会になりました。
信仰は強まったか、弱くなってしまったか、そもそもどうだったのか、問いかけられたことはたくさんありました。
そしてこれからも。
たくさんの制約の中でミサと活動を再開させてきましたが、新しい信仰様式を作り上げなければならないとの課題に直面しています。
どのように自分の十字架を担ってイエス様に従ってゆくのか?
いまこそ原点に返って、この機会をピンチではなく新しいチャレンジをする時だととらえて、新しい信仰様式を作り上げて行きましょう。