新型コロナウイルス感染症の影響で、今年三月初めから日曜日も平日もミサがなくなりました。
実は、司祭が一人でささげていたのです。
誰もいない香部屋でミサをするのは、とても寂しいことでした。
会衆が答えるところも司祭が唱えなければなりません。
そのうち教会のすべての活動も止まってしまいました。
このような状況になるとは、考えたこともありませんでした。
信徒の皆さんと一緒にささげるミサがどれほど信仰生活にとって大切なものであったかを、改めて感じることができました。
今回のことは、ミサが私たちにとってどのような意味を持っているのかを考える機会を与えてくれました。
東京大司教区では、ミサをインターネット配信し始めました。
私もインターネット配信を考えたことがありましたが、やめました。
なぜなら、ミサはみんなが集まって、祭壇を囲んで行うものだからです。
インターネット配信ミサを観た信者さんは、テレビで見るミサには聖体拝領がないので、メイン料理のないフルコースのフランス料理のようだと言いました。
やはりミサは、みんなが集まって捧げるものなのだとわかりました。
一つのパンを分かち合う聖体拝領は、ミサの中でも大切な部分です。
人生の最後の場面で、聖体の大切さに気付いた人がいました。九州の五島列島から大阪に移ってきたKさんです。
Kさんは若い時、両親に連れられて大阪にやってきました。子どものころからの信者でした。
五島列島にいるときは、毎日教会に通っていました。ミサに与かり、教会で勉強し、教会で遊んでいました。
大阪で成人になり、仕事にも就きました。やがて結婚して、子どもも生まれました。その頃から生活に追われ、教会から離れてしまいました。
長い間、信仰とは関係ない生活を送っていました。やがて子どもたちも独立し、夫婦だけの生活になりました。
その頃、体調が悪くなり病院に行きました。そこで末期のがんであることが分かったのです。
奥さんが教会に来られて、ぜひ病院に来てほしいとKさんの願いを伝えました。
そこで病院を訪問しました。Kさんの病状は悪く、ほとんど話もできない状態でした。
奥さんの話では、Kさんは入院してから毎日祈るようになったそうです。
私も病室で一緒に祈り、病者の塗油を授けました。聖体も授けたかったのですが、もう何も食べられないのであきらめかけました。
ところがKさんは聖体をいただこうとするのです、必死になって。
ほんの少しのかけらを食べることができました。Kさんは、人生の最後に、何が一番大切なのかを見出したのでした。
望めばいつでも得られると思うと、ありがたみが分からなくなることがあります。
それがなくなりそうになって、初めてありがたさに気づくのです。
ミサも聖体もコロナのせいで自由に受けられなくなった時、初めてそのありがたさに気が付きました。
神様の愛も同じだと思います。いつでもどんな所でも、神様の愛は私たちに注がれています。
それだけに、私たちは当たり前だと勘違いして、軽く扱ってしまいがちです。
ガリラヤ湖に集まっていた人々は、イエス差からのパンをいただいた時、イエス様を通して与えられた神様の大きな愛に気づいたのではないでしょうか。
それは、心と体を満たす本物の糧だったのです。