最初に、イエス様は、弟子たちに「人々は、私のことを何者だと言っているか?」と質問されました。
弟子たちは口々に聞いていることを答えました。ついで、イエス様は弟子たちに「あなたがたは私を何者だと言うのか」と質問されました。
シモン・ペトロが弟子たちを代表して「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えます。それは正しい信仰告白でした。
イエス様はそのペトロの上に教会を建て、天の国の鍵を授けると言われました。
つまり、人々を神の国に導き入れる役目を与えられたのです。
地上では神の国の建設のために集まる教会に人々を招き入れる役目、天上では神の国に人々を招き入れる役目をイエス様はペトロに与えられたのです。
このような重たい任務を与えたことは、イエス様がペトロを心から信頼していた証しだとわかります。
この重い任務は、ペトロを第一代の教皇として歴代の教皇に受け継がれてきました。
同時に、教皇の協力者である司教団に委ねられました。
司教は、自分に委ねられた司教区において教皇と同じ働きを担当します。
司教区の中では、司教の協力者であり小教区をゆだねられた主任司祭が教皇(司教)の果たすべき任務を受け持ちます。
教会は「呼び集められた者」という意味で、キリスト者の集いを表します。
小教区は、キリスト者が集まっている地域を指します。しかし、司教区はある程度明確な地域割りが決まっていますが、
小教区の地域割りは必ずしもはっきり決まっているわけではありません。伝統的に聖堂の立地している周辺が小教区とされています。
教会の歴史はペトロに始まり、教会の務めもペトロに由来しているのです。
それでは、イエス様から天の国の鍵を預かったペトロとは、どのような人物だったのでしょうか。
福音書で、ペトロはイエス様の一番大切な弟子で、他の弟子よりたくさん登場します。
ペトロは漁師でした。イエス様と出会い、イエス様に呼ばれて、漁師の仕事を辞めて従いました。
単純にイエス様を好きになり、信じたのでした。そしてイエス様と共に歩み始めました。
ペトロは最後の晩餐の席で、イエス様を絶対に裏切らないと言い切ったのに、イエス様の言ったとおり鶏が三度鳴く前にイエス様を知らないと言ってしまったのです。
ペトロは人間的な弱さを持った人でした。自分の弱さからイエス様を裏切ってしまいました。
ペトロはその裏切りの中で復活したイエス様に出会い、深い愛にふたたび包まれて、生涯イエス様に従おうと固く決心しました。
イエス様は、そのペトロに天の国の鍵という大切な役目を渡したのですから、ペトロが必ずご自分のところに戻ってくるとの確信があったに違いありません。
神様の選びと私たち人間の選びとには決定的な違いがあります。
神様の選びには、その人の容姿や能力は関係ありません。むしろ貧しく弱い人、普通の人、何の取り柄のない人が選ばれるのです。
それは、働くのは神様だからです。その人を通して神様が働かれるのです。
ペトロの信仰告白も天の父の力によるものでした。
また神様は選びを行うとき、人間が失敗したり罪のゆえに神様を裏切ったりすることも織り込んでいるように思われます。
かならず、つまずきから立ち直って戻ってくると信じて、選ばれるのです。
失敗や遠回りさえも神の愛を知るための道であり、救いの道の道筋なのです。
イエス様は、弱さを持つ人間を選んでペトロの後継者とされ、ご自分の果たすべき使命をゆだねられたのです。