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2020年12月6日 B年 待降節第2主日「ミサのメッセージ」
アウグスチノ 川邨 裕明神父
 今年も終わりが近づいてきました。今年はコロナウイルスに振り回された一年でした。 社会生活も大きな影響を受けました。皆さんも生活や仕事にさまざまな影響を受けたことでしょう。 来年は、ワクチンが開発されて、コロナウイルスを克服して、コロナ前の生活を取り戻したいものです。このミサで、来年が私たちにとって良い年になるように祈りましょう。
 さて、この時期になると増えてくるのが道路工事です。新しい道路を作る工事もあります。 しかしほとんどは、道路の修理のための工事です。特に高速道路では、数日間交通を止めて大規模な修理を行います。 利用する私たちは不便ですが、必要なことなので我慢します。道路は使っているうちにいろいろなところが傷みます。 修理をしないと、道路に穴が開いてそこに車が落ちて事故を起こすかもしれません。 だからこそ、新型コロナウイルスの感染が拡大していても、工事を止めるわけにはいかないのです。
 今日の第一朗読、イザヤの預言にも道が出てきます。「主のために、荒れ野に道を備え わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ」。 「険しい道は平らに、狭い道は広い谷になれ」と述べられています。荒れ野に道を備え広い道を通すのは、新しい道路を作るようなイメージです。 険しい道を平らにするのは、道を修理する感じです。狭い道を広げるのは、道路の拡張工事のように思えます。 このように新しく作ったり修理したりして、歩きやすくなった道を歩いて行くのは、主なる神様です。 主なる神様は羊飼いのように、羊の群れであるイスラエルの先頭に立って、民と共にその道を歩んでゆかれるのです。
 今日の福音では、このイザヤの預言のイメージを引用して、洗礼者ヨハネの準備した道を後から来るイエス様が通ってゆくように語られています。 洗礼者ヨハネの準備とは、道を通るイエス様に人々が合流するように、「罪の赦しを得させるための悔い改めの洗礼」を授けることだったのです。
 悔い改めとは、自分勝手に間違っていた道を進むのをやめて、イエスキリストと一緒に道を歩むようになることです。 そのためには、「いままで間違った道を歩いていました」と罪を告白して、洗礼者ヨハネの洗礼を受けなければならないのです。 そのようにしてイエス様と歩む準備のできた人を、イエス様は受け入れて、ご自分の「聖霊による洗礼」を授けて、仲間にされるのです。
 私たちは、イエス様の降誕を祝う準備の季節、待降節を過ごしています。 すでにイエス様の聖霊による洗礼を受けた私たちですが、時々自分勝手な道を歩き始め、イエス様から離れてしまうことがあります。 そこで私たちは、自分が歩んできた道を振り返り、間違った道を進んでいないか確認します。 もし間違った道に迷い込んでいたとしたら、神様に自分の過ちを告白してイエス様の道に戻ります。 それがイエス様を迎える準備なのです。新型コロナの影響がありますが負けないで、降誕祭の準備を続けましょう。