02月07日 B年 年間第5主日
新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るい始めて一年になりますが、なかなか終息しないようです。
イエス様の時代は現代ほど医学が発達していなかったので、悪霊が人の体に入って病気にさせたり悪事を起こさせたりすると考えられていました。
イエス様は悪霊を滅ぼさず、追い出しました。聖霊も悪霊も住んでいる世界こそ本来の姿なのです。
イエス様は悪霊も住むような世界を大切にしていたのです。
イエス様はシモン・ペトロの家に行き、シモンのしゅうとめの病気を治しました。
しゅうとめは、イエス様と弟子たちをもてなしました。
もてなすは、仕えるという言葉と意味が同じです。教会では、仕えることは奉仕と呼ばれます。
教会は、イエス様に出会い、イエス様によって救われた人々の集まりです。救われた人は、イエス様と同じように、奉仕に生きるようになるのです。
02月14日 B年 年間第6主日
一人の重い皮膚病を患っている人がイエス様のもとにやって来て、ひざまずき願いました。
イエス様は、この病の人と出会い「深く憐れんで」「手を差し伸べてその人に触れ」「よろ
しい、清くなれ」と言葉をかけ、その人をいやされました。
当時、重い皮膚病は危険な伝染病とされていただけではなく、その患者は神からの祝福からも遠ざけられた者と見なされていたのでした。
そして、その結果「独りで宿営の外に住まなくてはならない」と定められていたのです。
イエス様は、この病者の傷みに深い共感(憐れみ)を感じると同時に、この人の置かれた社会から隔離された孤独な状況に怒られたのです。
そして、その当時、決して許されていない手を触れていやすという行動に出たのでした。
そしてイエス様は、人と人とが一緒に生きられないその壁、隔たり、障害を取り除いたのです。
02月21日 B年 四旬節1主日
今年も四旬節が始まりました。4月4日の復活祭に向けて、神様に向き直る、いわゆる回
心の業に励みます。10日間を旬と呼びますから、四旬節というのは40日間という意味になります。
四旬節は、復活徹夜祭・復活祭に洗礼を受ける人の準備の仕上げと、教会共同体全体が典礼を通して回心に取り組む季節なのです。
マルコ福音書は、イエスの40日の荒野での試練をごく短い報告にとどめています。その後に「時は満ちた。神の国は近づいた。
悔い改めて福音を信じなさい」と、イエスのメッセージをまとめています。
時間には時計で測れるクロノスと特別な意味を持つ時間、カイロスがあります。「時は満ちた」はカイロスの時間概念です。
四旬節の40日間は、単なるクロノスではありません。
イエス・キリストの復活という決定的なカイロスの時を迎えるために、回心という神との間で特別な時間、カイロスの時間を作ることが求められているのです。
02月28日 B年 四旬節2主日
今日朗読される三つの聖書箇所には、総勢10人が登場します。父なる神を除く9人に共通しているのは、神のすばらしさに出会って、
自分のすべて、ついには命さえも差し出してしまったということです。父なる神は、人間のために命を差し出されました。
第一朗読は、アブラハムが独り息子イサクを神様の献げ物にする話です。アブラハムもイサクもその直前まで迷いがあったことでしょう。
しかし覚悟を決めて神の命令に従おうとします。それは、一番大切なものよりもっと大切なものがあることがわかっていたからです。
神こそがすべてにおいてすべてであるとわかっていたからです。
イエスの変容を伝える今日の福音にも、同じ事が表現されています。
父なる神は、一番大切な一人息子イエスを愛する人類のために差し出すことを決意され、イエスも父なる神の決意に応えて、自分の命を人類に差し出すことを決意しました。
アブラハムとイサクの覚悟の姿が重なってゆきます。