04月04日 B年 復活の主日
主の復活、おめでとうございます。
主、イエス・キリストは十字架に付けられた後、三日目に復活しました。
十字架の出来事の前、イエスと弟子たちのお別れの食事であった最後の晩餐が行われています。
ヨハネの福音書では、その食事の最中、イエスは弟子たちの足を洗われました。
そして、「あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない」(13:14)と言われました。
また、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である」(15:12)と、愛の掟を弟子たちに与えた後、「友のために自分の命を
捨てること、これ以上に大きな愛はない」(15:13)と言った後、
「わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である」(15:14)と言われました。
イエスは、私たちの友となるために十字架の死を受け入れられたのです。十字架の死と復活の出来事を通じて、
ご自分の言葉を実現されました。そして、言葉の通り私たちの友となってくださったのです。
イエスはすべての人の友になる、それだけの理由で十字架の道を選ばれたのです。イエスの選びの故に、
父なる神は復活という栄光をイエスにお与えになられたのです。
04月11日 B年 復活節第2主日
復活節は聖霊降臨祭まで続く典礼季節であり、復活にまつわるさまざまな記述が朗読されてゆきます。
特に第一朗読は特別に使徒行録が継続的に朗読されてゆき、初代教会の生き生きとした活動とその発展が毎年、この時期に朗読されます。
教会は「いつの時代も初代教会」なのです。この精神はとても大切なことで、
「いつも復活した主キリストが私たちとともにいる」から「生き生きと活動できる」のだということを忘れてはならないと思います。
復活節を長く祝うのは、理由があると思います。イエスの復活の出来事は、イエスの墓が空であった事から始まり、弟子たちが復活したイエスと出会い、
イエスの復活を告げ知らせるようになるまでの時間幅のある出来事だからです。ですから、時間をかけてその体験を記念してゆくのです。
04月18日 B年 復活節第3主日
復活したイエスと出会って、弟子たちは手放しで喜ぶかと思ったけど、反応は複雑なものでした。
福音は、弟子たちは「恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った」、「うろたえ、心に疑いを起こし」
「喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっている」と述べています。
そのような弟子たちの姿を見て、イエスは弟子たちに信じてもらうために努力を重ねます。
イエスが弟子たちに復活を信じてもらうように働きかけたのは、弟子たちに復活の証人になってもらうという強い想いがあったからです。
弟子たちがイエスの復活の証人になるためには、復活したイエスと出会うという体験が必要だったのです。
それはイエスを見たというだけでは不十分で、復活したイエスと出会い、その出来事を体験として正確につかむことが欠かせなかったのです。
そのためにイエスは、できることはすべてするという努力を重ねられたのです。
聖書とミサとを通して、私たちもイエスの復活の証人になることができるのです。
04月25日 B年 復活節第4主日 世界召命祈願の日
ヨハネ10章の「よき羊飼い」について語るキリストのことばが朗読されます。羊と牧者の姿は当時のイスラエルの人々には日常的な風景でした。
羊は無力で弱いシンボルのような動物ですが、自分たちの「牧者」だけは間違えることがありません。
羊と牧者の間には、深い信頼と愛情あふれる関係があるのです。
イエスは「良い羊飼い」について語ります。良い羊飼いは、羊のために命を捨てるのだと、イエスは五回も繰り返します。
ただ、命を捨てるだけでなく、捨てた命を再び受けることも語っています。イエスの死と復活がその背景にあるのは事実です。
羊飼いが自分の羊を知るためには、羊の世話を誰かに任せるのではなく、自分で世話をしていることが必要だと思います。
羊飼いは自分の羊のために、自分の時間を惜しまずに捧げます。羊飼いの献身的な世話を受けて、羊も羊飼いのことを深く理解するようになります。
今日は、世界召命祈願の日でもあります。世界中で羊のために献身的な世話をする羊飼いが現れるように、祈りたいと思います。