11月07日 年間第32主日
今日、三つの朗読のテーマは「神のためにすべてを捧げる」です。第一朗読と福音にはやもめ(主人を亡くした婦人)が出てきます。
列王記では、神の元から遣わされたエリアと出会った一人のやもめがエリアのために、壺の中に残っていた一握りの小麦粉と瓶の中にわずかにある油を使って、
小さいパン菓子を作って差し出しました。それはそのやもめと息子が食べるために残してあった最後の食料でした。
福音のやもめも生活費のすべてを神殿にある賽銭箱に入れました。それはわずかな金額に過ぎませんでしたが、生活に必要なお金すべてでした。
第二朗読には、イエス・キリストが登場します。ヘブライ人への手紙の作者は、多くの人の罪を負ってただ一度、
ご自身をいけにえとして捧げられたと言います。イエスはご自分の命を捧げたのです。
二人のやもめとイエスは、それぞれに自分のすべてを捧げたのです。神のために自分のすべてを捧げる、これが第一のテーマです。
そして、もうひとつの共通したテーマは、「見返りを求めずに与えた」ことです。イエスはもちろん何の見返りを求めていません。
福音のやもめも同じです。後に生活に事欠かなくなったサレプタのやもめも、神がたくさんの食物を与えることを信じて、
それが欲しくてエリアにパン菓子を焼いたわけではなさそうです。お腹をすかしているエリアをかわいそうに思って、最後に残った食料を提供してしまったのです。
すべての人が神を通して自分の持っているものを分かち合うならば、互いに助け合うことによって幸せになれる世界を築くことができるのです。
それこそが、イエスの目指していた神の国だったのです。
11月14日 年間第33主日
年間主日も今日が最後となり、来週は一年の典礼暦を締めくくる王であるキリストの祭日が祝われ、翌週からはC年の待降節となり、また新しい典礼暦が始まります。
今日の福音、イエスは弟子たちに終末、この世の終わりを語ります。世の終わりは破壊や滅びの時ではなく、救いの完成の時であると。
イエスの口を通して、世の終わりのときのありさまが黙示文学的な表現で語られていますが、大切なのは、世の終わりとは破壊の時ではなく、
救いの完成の時であることです。天変地異や戦乱、災害はいつの時代にも起こるものであり、
そのような絶望的な災いにより終末がおとずれるのではないかと考えられることもありますが、しかし、それは世の終わりではないのです。
イエスははっきりと言われています。「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」と。
御子さえも惜しまれずこの世に使わされた御父が、そんなに簡単に人間を滅ぼすはずがありません。逆にすべての人を救うために世を完成されるのです。
そのことへの信頼を失わないようにとイエスは強調されているのです。
ただ、この世の完成の時がいつであるかについては父なる神に委ねられていることなのです。