多神教の思想は平和の原理か
ラウレンチオ 小池二郎神父
今日は、元旦の朝日新聞の社説「千と千尋の精神で、年の初めに考える」を考えます。
これには三つの小見出しがありますが、私が紙面を見たとき、第三の小見出し「多神教の思想を生かそう」に、 まず目が向かい、多神教こそが21世紀の平和の原理だとする論者がここにもいるかと思いました。
賛成の論旨
社説は、「9・11と9・17」の小見出しの後に、「生ぬるい意見は捨て去るときがきた。 我々は抑制なき過激主義者と向き合っている。彼らのレベルと同じような方法で、彼らを破滅させなければならない。
撃滅こそ我々のゴールだ」という9・11の数日後、ワシントン・ポスト紙に載った投書の一節を引用して、
この国(米国)は一種の熱狂に染まっていったといい、ブッシュ政権はいま、 「悪の枢軸」の一番手にイラクをすえ、米国は抜きんでた軍事力を背景にひたすら戦争へ突き進もうとするかにみえ、
「この世から悪を取り除く」と高揚するブッシュ大統領に対して、 ロバート・ベラー博士(米国の著名な宗教社会学者)が言った言葉を紹介します。
「奇妙にビンラディンと似ている。我々は敵と似てきているようだ。」また社説は、米国が嫌われる理由として、 テロが生まれる根っこに何があるかを深く突き止めようとしないで、
何かと世界の王様になろうとすることを挙げます。
第二の小見出し「気になるナショナリズム」のところでは、9・17は昨年の9月17日、 金正日が拉致を認めた日のこと。
拉致は許し難いことですが、社説はその後の日本人の反応についても、 「日本にも、米国の熱狂を笑えぬ現実が頭をもたげている」と評し、
日朝交渉を進めた外交官を国賊と呼んだり、勇ましく戦争を口にしたり、 日本の核武装論をぶつ政治家さえも現れていると警告します。
「同胞の悲劇に対してこれほど豊かに同情を寄せることができるのに、 虐げられる北朝鮮民衆への思いは乏しい。」日本による植民地時代の蛮行を問う声は、
「拉致問題と相殺するな」の一言で封じ込めようとする。 これなら日本も「敵に似てきている」のではないかと。
賛成しかねる論旨
さてこの小論の肝心の「多神教の思想を生かそう」に移ります。
「社説は、昨年、ベルリン映画祭で金熊賞を受け、 大ヒットした宮崎駿監督のアニメ映画「千と千尋の神隠し」を簡単に紹介します。
主人公の少女・千尋は神隠しにあい、異界の湯屋で働く。 そこには八百万(やおよろず)の神々や妖怪が集まっていて、 ひとり千尋が優しく彼らに向きあい、彼らの弱さや寂しさを引き出す。
地球は矛盾と悲哀に満ちているが、それらを憎悪や力だけで押さえ込むことはできない。 これが「千と千尋」にこめられたメッセージではないかと。
「千と千尋の神隠し」には深い意味があるとしても、これはアニメ映画であり、フィクションの世界です。
私は宮崎監督の才能も、日本の神話の美しさも、その平和に役立つ部分も認めます。
しかし、キリスト教の世界にも、信仰は確かに保ちながら、ギリシャ神話を愛した、詩聖ダンテも、 画家ラファエルも例外的存在ではなかったことを指摘しておきたいと思います。
社説は、「文明の対立」の背景にあるのは、イスラム、ユダヤ、キリスト教など、神の絶対性を前提とする一神教の対立であり、 「金王朝」をあがめる北朝鮮もまた、一神教に近いといいます。
今世界に必要なのは、すべて森や山に神が宿るという原始的な多神教の思想である。 「そう唱えるのは、哲学者の梅原猛さんだ。」「日本こそ新たな『八百万の神』の精神を発揮すべきではないか。」
あなたはこれを、どう思われますか。私は賛成しかねます。唯一の神が世界を支配され、 人殺しを禁じられ(第五戒)、平和を望まれます。
これこそ強固な平和の原理ではないでしょうか。 神の計画は「平和の計画であって、災いの計画ではない。」(エレミヤ書29章11節)