ロザリオ・光の神秘 ― 聖体祭儀 ―
(光の神秘解説・最終)
ラウレンチオ 小池二郎神父
イエス様は十字架上で亡くなる日の前夜、エルサレムの一室で、 12使徒と過ぎ越しの食事をともにされたとき、パンとぶどう酒を用いてミサを制定し、
使徒たちに御体(聖体)と御血を授けられました。「使徒たちは二階の広間で、 『取って食べなさい』、『皆、この杯から飲みなさい』(マタイ26・26‐27)というイエスの招きを受けました。
こうして彼らは初めてイエスの秘跡による交わりにあずかりました。 このときから、世の終わりまで、わたしたちのためにいけにえとされた神の子との秘跡による交わりを通じて、教会は築き上げられていくのです。
『わたしの記念としてこ のように行いなさい。
… 飲むたびに、わたしの記念としてこのように行いなさい』 (一コリント11・24-25。ルカ22・19参照)。」(2003年4月 教皇ヨハネ・パウロ二世の回勅 教会に命を与える聖体 21)
ミサは世界で最も尊い人間の行為です。その上、奇跡中の奇跡ということが出来るかもしれません。
奇跡は、人間や自然の力では決して起こらないことが神様の特別のお働きによって起こることがらだからです。
もっとも、狭い意味での奇跡が奇跡であるためには、その結果が、五感で確かめられなければなりません。
この「五感で確かめる」という一点を除けば、ミサと聖体こそ、奇跡中の奇跡であることは間違いないことです。
なぜなら、わずかなパンとぶどう酒が、イエス・キリストの実のお体と御血に変わるからです。
聖体を拝領するということは、イエス・キリストご自身を、食べて、自分の体に中に入れるということです。
その意味が分かっていて、その人が神の愛に留まっているなら、聖体拝領はどれほど大きいお恵みになることでしょうか。
聖体は、それは「旅路の糧」であり、復活の保証です。
病人などが、ミサ後、祭壇から離れた場所で聖体を受けるとき、 イエス・キリストが、最初のミサにおいて聖別された聖体と同じ聖体を受けます。
聖体は、ミサが終わり、長い時間を経過しても、それが主イエス・キリストの体であることに変わりがなく、 敬虔に拝領する人に大きい力を発揮します。
聖体は確かに妙薬です。 しかし、ミサと関わりを忘れて、ただの容器入り妙薬と考えてはいけません。
ミサと聖体こそ、カトリック信者の信仰と教え、希望と愛、そして生活の中心です。 わたしたちは、ミサに与るたびに、その理解を深めることを願っていますが、 ロザリオの「光の神秘」はこの成就をよく助けてくれるものではないでしょうか。
ロザリオは、福音の要約であるという一面があります。 わたしは、これまでの3神秘、15連でさえも、隙間を信者としての予備知識で補うなら、 キリストの福音の健全な要約と見ることができると思っていました。
しかし、教皇様が、昨年10月16日、イエスの受洗、イエスによるカナの婚宴のぶどう酒の奇跡、 イエスの宣教、イエスのタボル山での変容、
イエスによるミサと聖体の秘跡の制定の5連の神秘を、 光の神秘として、これまでの15連に加えられたことによって、ロザリオは、福音のより良い要約になりました。
幾本かのロザリオがカトリック信者の家庭の目につくところに飾られており、 何かの機会に、家庭の誰かがそれを手にする情景を思い起こしてみましょう。
ただそれだけでは何の霊的利益もないとは思いません。しかしロザリオの本当の利益は、 実際にそれを熱心に度々唱えることです。
家庭に一人でも、ロザリオを熱心に唱える信者がいて、 その人が、ロザリオの慰めと、そこから来るお恵みとを実際に体験し、それをほかのメンバーに伝えることができればと思います。