iՃbZ[W
ē
~Tƍu
̐lƉv
̂m点
ANZX
sʐ^ipj
TCgɂ‚N
驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君
イザヤ9章5節
ラウレンチオ 小池二郎神父
1 闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
2あなたは深い喜びと大きな楽しみをお与えになり、人々は御前に喜び祝った。
 刈り入れの時を祝うように、戦利品を分け合って楽しむように。
3彼らの負う軛(くびき)、肩を打つ杖、虐げる者の鞭をあなたはミディアンの日のように折ってくださった。
4
地を踏み鳴らした兵士の靴、血にまみれた軍服はことごとく火に投げ込まれ、焼き尽くされた。
5一人のみどりごがわたしたちのために生まれた。
 一人の男の子がわたしたちに与えられた。
 権威が彼の肩にある。
 その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。
6ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。
 王国は正義と恵みの業によって今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。
 万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。 
(イザヤ書9章1節‐6節 1,2,3…は節)
 クリスマスの深夜ミサ第1朗読は、ABCの3年ともに上の引用個所が朗読されます。
 この個所は、旧約聖書の中でイエス・キリストを予言する最も大切な個所の一つと考えられています。 これに比べられるものは、詩編22番、イザヤ書11章1節‐5節、 第二イザヤの「ヤーヴェの僕」の四つの歌(42章1節‐4節または7節、49章1節‐6節または9節前半、50章4節‐9節、52章13節‐53章12節)ぐらいでしょうか。 しかし、その中でも今回の引用個所は分かりやすく、特に大切な個所ではないかと思います。

 2節の「人々」は、直接にはユダの人々ですが、間接には救い主の現われを待つすべての人です。
 イザヤの目の前にあった圧制者は、アッシリア人です。
 「ミディアンの日のように」これは少し分かり難いかもしれませんが、ヤーヴェがギデオンを用いて圧制者ミディアンを打ち破った輝かしい勝利の日のことです。 (師士記6章33節‐35節、8章28節)
 5節の「一人のみどりご」はイエス・キリストのことです。「わたしたちに」のわたしたちは、最終的に、そして実際に、わたしたちと理解してよいと思います。
 主に与えられた四つの名称のうち、「永遠の父」については、わたしは少し不思議に思ったことがありました。 イエス・キリストは、むしろ、わたしたちの長兄ではないかということです。
 「神は前もって知っておられた者たちを(わたしたちが実際にそこに含まれていることを願いますが)、 御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。 それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。」(ローマの信徒への手紙8章29節)このほか、新約聖書では、ヘブライ人への手紙で、 4回、 イエス・キリストをわたしたちの長子と呼んでいます。しかし長兄が父の心をもって悪いわけがありません。 むしろそれをもつ時、最も優れた長兄となるのではないでしょうか。
 「わたしを見た者は、父を見たのだ」(ヨハネによる福音14章9節)イエス・キリストは御父の生き写しでもあるから、 この点からも、「永遠の父」はイエス・キリストにふさわしい称号だということができます。
 イエスの王国の成立と永続、これを「万軍の主の熱意が成し遂げる」(6節)とはなんと力強い御言葉でしょうか。