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おめでとう、恵まれた方
ルカによる福音1章28節
ラウレンチオ 小池二郎神父
 3月は聖ヨゼフ様の月で、祭日は3月19日(土)です。この祭日に関して、わたしは旧約聖書の次の個所を思い起こします。 「ファラオはすべてのエジプト人に、『ヨゼフのもとに行って、ヨゼフの言うとおりにせよ。』と命じた。」(創世記41章55節) 3月は聖ヨゼフ様のことを大切に考えながら、 もう一つの祭日「神のお告げ」(3月25日)を忘れるわけにはいきません。今日はその祭日の福音から一句を選びました。
 この日の出来事は、絵画の題名などでは「受胎告知」として知られており、この祭日は第二バチカン公会議以前には、聖マリアの「お告げ」と呼ばれていました。
 この祭日が3月25日であるわけは、この日が、主の御降誕祭の12月25日の9ヶ月前に当たるからです。 聖マリアの無原罪の御やどり(12月8日)と聖マリアのお誕生(9月8日)の場合もそうであるように、 教会は典礼において胎児が母の胎内にいる時間を9ヶ月としたと見積もっています。 ただし、聖マリアのお誕生日の方は、先に無原罪の御やどりの祭日が決まって、後から決まりました。

 今年の3月25日は聖金曜にあたります。それで、今年は復活節第2週の月曜、4月4日に移動して祝われます。 教会は、移動させてまで、この日を記念するほどこの日は大切です。
 神様が人となられたということ、託身の奥義(=受肉の奥義)はキリスト教信仰の根本です。 そしてその実現が、一人の処女の自由な受諾によって実現しました。
 その経過をルカはていねいに記しています。その記述の頂点が、今日、表題の「おめでとう、恵まれた方。」(1章28節の一部)です。
 次に、日本語の3つの訳を、書き写します。

 ●新共同訳→
  天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられる。」
 ●フランシスコ会聖書研究所訳 改訂新版→
  み使いは彼女のもとに来て言った。「喜びなさい、恵まれた者よ。主はあなたとともにおられます。」
 ●バルバロ訳 講談社→
  天使はマリアのところに来て、「あなたにあいさつします、恩寵に満ちたお方。主はあなたとともにおいでになります。」と言ったので、…

 天使の聖マリア様へのお告げは、当時の普通の言葉であったアラマイ語で行なわれたことはほぼ間違いないと思います。 残念ながら、わたしはアラマイ語を知りませんが、新約聖書の原文はすべてギリシャ語です。 そして、聖書の第一の著者は神様ですから、 そのギリシャ語は天使のあいさつの真意を正しく伝えていると考えて良いと思います。 したがって、この聖句の吟味は、ギリシャ語にさかのぼることで満足したいと思います。

 喜びなさい。ギリシャ語では「カイレ」と言います。普通の挨拶の言葉であったようです。 しかし、ここではカイレがもっと深い意味を持ち、 予言されていたメシア時代のよろこびの告知の第一号、 しかもその方の受諾によってその時代が始まるという特別の告知の意味を、当然、含んでいると考えることが出来ます。
 わたしは「聖マリアの祈り」の中にも残して欲しい言葉です。
 一つおいて、その次に来る「主はあなたとともにおられる。」という言葉は、エリザベトの夫ザカリアへの天使のあいさつ(13節から17節)にはなく、 この言葉を、フランシスコ会聖書研究所訳の注解では、聖マリアが救済史の中でもつ特別の地位を示すものと受け取っています。
 今日は、最後になりますが、「喜びなさい」と「主はあなたとともにおられる」の中間にある、「恵まれた方。」について考えたいと思います。
 これはギリシャ語では、好意をもつ、あるいは寵愛するという動詞「カリトオ」の過去分詞「ケカリトメネ」です。 この動詞そのものが最大級の意味をもっています。ちなみに、「カリトオ」は、新約聖書では、ここと、エフェゾ書1章6節以外には使われていません。
 前掲の3訳のうち、最初の2訳は、恵まれた方、あるいは、恵まれた者よ、で、それは誤りではありません。 しかし、第3のバルバロ訳、「恩寵に満ちたお方」の意味を持っています。
 ラテン語では、「めでたし、お恵みで一杯のマリア様」とうまく訳しています。「アヴェ・マリア、グラツィア・プレーナ」
 英語の天使祝詞では、お恵みがマリア様には「一杯、フル」だと言っています。
 新共同訳とバルバロ訳と、どちらの訳が良いか、議論のあるところですが、「恵まれた方」にはお恵みが一杯の方の意味が含まれていることを忘れないでおきたいものです。