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わたしを記念してこれを行ないなさい
(コリント11章24節参照
ラウレンチオ 小池二郎神父
 「わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。 すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、 『これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行ないなさい。』と言われました。 また食事の後で、杯も同じようにして、『この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。 飲む度に、わたしの記念としてこのように行ないなさい。』と言われました。」 (コリントの信徒への第一の手紙11章23節‐25節 下線は筆者による。)

 今年10月2日から23日までローマで、「生きることと教会の使命の源泉であり頂点であるエウカリスチア(聖体)」をテーマとして、 第11回世界司教代表者通常会議が行なわれますが、亡くなられたヨハネ・パウロ2世教皇は、 昨年の10月10日から17日まで、メキシコのグワダラハラで開かれた第48回国際聖体大会に自ら出席され、 その聖体大会から、今年10月23日までを聖体の年とすることを宣言されました。
 今はその聖体の年の最後に差し掛かっていますが、ここで、聖体にかかわる聖書の一句を取り上げたいと思いました。 前掲の個所は、聖体にかかわりのある新約聖書の個所の中でも、それなしにはミサが成立しなかったのではないかと思われるほど重要な個所です。
 新約聖書で、主イエスが最後の晩餐でミサを制定された記事が、4回出ます。 前掲個所と共観福音書(マタイ、マルコ、ルカ)です。 なぜかヨハネによる福音書にはこの個所はありません。読者には分かり切ったこととして省略された可能性があります。

 「わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。」聖パウロはこの句で、 この奥義はイエス様から直接聞いたと主張しているのではないでしょうか。 最後の晩餐の伝承が、一つであるとは限りませんが、この伝承がルカの最後の晩餐の記述に大きな影響を与えたという説は定説のようです。
 また、コリントの信徒への第一の手紙が書かれた年代は、どの福音書の成立よりも古いのです。
 マルコ福音書は福音書の中で最も古いとされています。フランシスコ会聖書研究所に よる注解書は、同福音書は紀元64年(または67年)から70年の間に書かれたとするのが今日まで最も多くの支持を得ていると書いています。 ルカとマタイが書かれたのは、どんなに早くても紀元70年以後です。コリントの信徒への第一の手紙が書かれたのは紀元56年です。 かりにマルコ福音書が紀元64年に書かれていたとしても、聖パウロの言葉が書かれたのは、それより8年も早かったことになります。
 並行個所はマタイ26.26‐40、マルコ14.22‐24、ルカ22.19‐20ですが、以上の理由で、今日は上掲個所を選びました。

 次に、カトリック教会がどの時代にも主張し、いまも主張し続けてきたように、 果たして、聖書の語句から、パンとぶどう酒が、真のイエスの体と血になるということがあるのでしょうか。
 「わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」(ヨハネによる福音6章51節)「このパンを食べる者は永遠に生きる。」(同58節) 「このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。 そこで、イエスは十二人に、『あなたがたも離れて行きたいか』と言われた。 シモン・ペトロが答えた。『主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。 あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、 また知っています。』」(同66節‐69節)
 「弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れていた。 イエスは彼らに、『ファリザイ派とサドカイ派の人々のパン種によく注意しなさい』と言われた。 弟子たちは、『これはパンを持って来なかったからだ』と論じ合っていた。」(マタイによる福音16章5節‐7節、マルコ8.14‐21参照)この場合、 イエス様は弟子たちの誤解を説こうとしておられますが、聖体のところでは、解説したり言葉を加えたりはしておられません。
 とは言え、聖書の語句にのみ頼って、聖体と御血を文字通りイエスの御体と御血であると結論づけることは無理かもしれません。
 カトリック教会は、「啓示の源泉」は「聖書」と「聖伝」の二つであり、二つは互いに補い合うと教えています。 聖体とミサの理解にこそこの二つの源泉の必要性を痛感します。

 終わりに、下線の部分のわたしの小さい意見はこうです。
 「わたしの記念として」はⅠコリントに2回、ルカに1回出ます。 ルカではパンの祝聖のときにだけ述べられ、ミサではぶどう酒の祝聖のときにだけに唱えられます。 マタイとマルコにはこの部分がありません。いずれにしても、この一句は、ミサの理解に不可欠です。
 わたしが見た限りの日本語のどの訳も、「わたしの記念として」と訳されています。 しかし、原文、幾つかの現代語訳、ラテン語のミサを見ると、 賛成いただけるかどうかは分かりませんが、 「わたしの記念として」ではなく、「わたしを記念して」と訳すべきではないか、あるいはその方がより正確ではないかと思うのです。
 「わたしの記念として」の場合、行事を記念に限定して伝える恐れがあります。 ミサはたしかに記念の性質を持ちますが、単なる記念ではありません。
 有名なエルサレム訳聖書の英語版では、「イン・リメンブランス・オブ・ミー」(わたしの記念において)となっています。 そのうえ、ギリシャ語のインに当たる前置詞エイスは、「に向かって」の意味が強いことを考慮に入れると、 わたしの記念としてではなく、「わたしを記念して」と訳すべきではないでしょうか。
 言い出しておいて申し訳ありませんが、こういう議論は大した問題ではありません。 日本語で十分です。聖書を自分へのみ言葉として味わうことこそが大切です。