iՃbZ[W
ē
~Tƍu
̐lƉv
̂m点
ANZX
sʐ^ipj
TCgɂ‚N
契約のしるしはこれ(虹)である
(創世記9章12節)
ラウレンチオ 小池二郎神父
   12更に神は言われた。
「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、 代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。 13すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。 これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。 14わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、 15わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべての肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。 水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。 16雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべての肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」  17神はノアに言われた。
 「これが、わたしと地上のすべての肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」(創世記9章12節‐17節)

 虹には大小種々のサイズがありますが、大体似ています。  サハラ砂漠やゴビ砂漠で見られるかどうか知りませんが、砂漠以外のほとんどすべての陸地とほとんどすべての海で見られます。
 地球上、毎日虹を見ている人がいるかもしれませんが、日本の地上では、毎日は見られません。それでも1年に数回は見るのではないでしょうか。
 今年の正月、二日だったと思いますが、同じ日に、二度虹を見たという方がおられました。夏の虹、冬の虹、それぞれの美しさがあります。
 この誰でも見ることの出来る虹を、神がご自分と全生物、特に人間との契約のしるしとされたことは注目に値します。
 自分のことで恐縮ですが、何年か前、そのことに初めて気付きました。それ以来、虹を見るたびに創世記のこの個所を思い出すことにしています。

 契約は、ヘブライ語ではベリートと言い、原典聖書に285回出ます。語源は「束縛」を意味し、この語に相当するアッシリア語の〈ベリトゥ〉も同じ意味だそうです。
 二者が合意の上で、ある約束を守るために互いに束縛される関係に入ることが契約です。 契約は、神が人間を救済する計画のもとで欠くことのできない手段となりました。   聖書に現れる契約は、神が人間に恵を与えるためにご自分を拘束されることです。ご自分を拘束してまで人間に恵を与えようとされます。
 虹の契約の後にも、かなりの間隔を置いて、神は人と契約を結ばれました。 信じる人のために、アブラハムと契約を結ばれ、モーセを通してイスラエルと契約を結ばれ、 最後に、全人類の救済のために、イエス・キリストと最も重要な契約を結ばれました。 しかし、どの契約もこの最初の契約を反故にしたわけではありません。

 一般的に、契約には双方的契約と片方的契約がありますが、契約が成立するためには最終的に双方の合意が必要です。 最初の契約は片方的契約でしたが、神の差し出された提案に、ノアは人類を代表して承諾したのだと思います。
 虹の契約は、実に大らかな契約ではないでしょうか。私たちは、虹を見るたびに、ただ、神に対して感謝し、人間の使命を思い起こせばよいのです。
 神は、人間がいかにあろうと地球を大破することはない、と約束されたのです。
 この契約の対象は、最終的には人間だと思うのですが、創世記の言葉は、人間ではなく、すべての生き物、肉なるものとなっています。 これは、自然が保たれることがそれほど人間にも重要であることを物語るものでもあるのではないでしょうか。
 聖書は人間のことばかりを考えて、生きとし生けるものには無頓着だという評論は間違いです。
 最初の契約で、地球がこの世の終わりまで、途中で、大半が破壊されることがないことが保証されたと考えています。 しかし、これまでユダヤ人のホロコーストも、広島の原爆も、たくさんの恐ろしい破壊がありました。 今後それと同じか、それ以上のことがないとは限りません。
 人間は、一方で破壊を心配し、他方で、神の祝福を積極的に生かすべき存在です。