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2007/07/14 お別れの言葉
ラウレンチオ 小池二郎神父
 今日は、お忙しいのに、参列してくださった全ての方に、また、私を思い出してくださる全ての方に、心から御礼申し上げます。
 皆様には、まず、私の至らなかったことへの、あるいは、ご無礼への心からの謝罪を致します。どうか、このお願いをお受け入れくださいますようにお願いいたします。
 とくに、信徒の方々に、司祭である私、主任司祭である私から、当然お受けになるはずの権利をお受けになれなかった方々には、 あるいは、不十分にしかお受けになれなかった方々に対しては、深くお詫び申し上げます。 憐れみ深い全能の御父が、 皆様の寛大なお心をご覧になり、私の欠陥を、何かの方法で補ってくださることを日夜お祈りいたしておりました。 どうかお許しをお願い申し上げます。
 また、お許しいただけますなら、今日、また今後も、私の永遠の救いのためにお祈りください。 皆様とともに、イエス・キリスト様と、聖霊の交わりの中で、 御父を永遠に賛美することができますように。

 最近、感じていることは、現実のカトリック教会は、 罪人が集まっている教会ですから、不完全なところも多い、汚いところも沢山見られますが、 全体からみれば、良い教会であるということです。 しかも、この教会だけが、本当の教会であるという信仰は、 私にとって新たな保証を必要としないものであると感じております。
 信者の皆様、私は、そのことの「証人」になりたいと思いましたし、今もそうです。 しかし、「証人」という言葉は、ギリシャ語の「殉教者」という言葉と同じです。 私は、殉教者にはなれませんでしたが、カトリック教会が、永遠に通用する真の永遠の宗教であることを、 何とか皆様に理解していただきたいとの強い望みを今も持っています。  信者の皆様、どうか、カトリックの息子、娘として人生を全うなさってください。 また、お子様にも、あなたの後をお継がせになってください。
 カトリック信者でない友人の皆様、あなたとお会いして、大抵、密かに思っていたことは、 いずれは、カトリックで洗礼を受けていただきたいということでした。 一時、お別れすることになりましたが、この望みは変わっていません。

 最後になりましたが、聖職者の方々に、ただ一言申し上げます。
 レオ池長潤大司教様、ミカエル松浦悟郎司教様、まず、私の至らなさをお許しください。 大変お世話になりました。ほんとうに有り難うございました。
 同僚の司祭の皆様、まず、私の失礼、至らなかったところを許してください。 私の救霊のため、今後とも、いろいろな機会に祈ってください。皆を、愛しています。

 ※この文章は小池二郎神父が生前に葬儀ミサで読んで欲しいと託された手紙です。7月16日の葬儀ミサで 大阪教区事務局長 神田裕神父がお読みくださいました。