『救い主は何処にお生まれになる?』
ラファエル 松本武三 神父
クリスマスは尽きせぬ恵みの泉。でもその恵みをキャッチする心が養われているのだろうか。
表面的な楽しみに終っているのではないだろうか。だからクリスマスは二人の王のどちらを選ぶかの祝いでもあるのです。
仕えられる王ヘロデか、仕える王幼子キリストか。それで博士の行動が私たちの大きなしるしとなるのです。
東の方から博士たちが、エルサレムに来てヘロデ王に尋ねます。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、何処におられますか。
私たちはその方を拝みに来たのです。」ヘロデ王は不安を抱き、ひそかに博士たちを呼び、
「見つかったら知らせてくれ、わたしも行って拝もう」と言って送り出します。
自分の足で、労苦して幼子を見つける博士。何もしないで、人をやって確かめようとするヘロデ王。
結果、博士とヘロデ王は、対照的な振る舞いをします。
博士たちは、旅の疲れもいとわず、ふくらむ希望のうちに出かけます。
聖書は、夢溢れるその光景を美しく語っています。
「東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった」と。
博士たちは、深い感動を持って、ひれ伏して幼子を拝み、貴重な贈り物をささげ、喜びに溢れます。
ヘロデ王は、何とその幼子を殺せと命令するのですが、ヨゼフとマリアが命がけで、幼子を守って、エジプトへ逃げるのです。
かわいそうにそのため、幼子イエスの生まれたベツレヘム付近の2歳以下の男の子が、虐殺されたのです。
世界中の人が、クリスマスを自分たちの楽しみのために祝うけれど、直後の幼子殉教の記念日は知らないのです。
きっと、イエスさまは、両親から、そのことをよく教えられたに違いない。「イエスや、忘れてはいけませんよ。
あなたのために、多くのお友達が命をささげてくれたのですよ。
あなたは、そのお友達のためにも、よく生きないといけませんよ」と。
私たちも信者として、ミサにあずかり祝うけれど、ヘロデ王にへつらう心の生活になっていないだろうか。
幼子キリストさま、どうぞ私の心でお休みください。あなたのために、喜んでお手伝いしますから。
これが、今年の甲子園の年間テーマ「仕えられるよりも、仕えることを」だったのでは。
そんな心で皆さん、クリスマスの夜、教会の祭壇のうまやに集い、感謝して祝いましょう。
