『イエスのみ心って どんな心?』
ラファエル 松本武三 神父
み心の月。イエスのみ心ってどんな心なんだろう。わたしは何よりもどこまでもゆるし、受けとめ、導いてくださる愛の心の方と思っている。
だってわたしのような者が、まがりなりにも36年間、司祭生活を続けてこられたのは、イエスさまがゆるしてくださり、
くよくよするな、ありのままに、素直に喜んで生きればいいと、言ってくださっていると信じていられるからです。
でないと、今の自分はありませんから。だから聖書で、イエスがペトロの問いに答えられた、
「7の70倍までも赦しなさい」(マタイ18・22)の言葉、また、放蕩息子のたとえや、十字架上で犯罪人の一人に言われた
「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ23・43)の言葉などは、わたしのよりどころ、命の泉、救いの宝でもあるのです。
そしてまた、イエスのみ心は、どこまでも一途で純粋、父に委ねきる幼子のような平和な心の方と思っている。
「子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事も出来ない。父がなさることは何でも、子もそのとおりにする」(ヨハネ5・19)。
そして、イエスは「父よ、わたしの霊を御手に委ねます」(ルカ23・46)と言って息を引き取られました。
ミサに集う私たちが、一番イエスに倣いたい心のように思います。小さなことにこころ乱され、互いにさばきあう、弱い私たちですから。
み心の月は、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」とのイエスの心に倣う月なのですね。アーメン。
