『信心のすぐれた器、マリアさん』
ラファエル 松本武三 神父
10月はロザリオの月。ミサの前にロザリオが捧げられますが、マリアさん、喜んでおられるかな。
何となく、最近の教会の祈りは、形式的な心の思いが乏しくなっているような気がして、
マリアさん、さみしく思われているのではないかなと思ったりしている。皆さんは如何ですか。ロザリオは豊かなカトリック信心業の一つ。
去る、9月26日付けのカトリック新聞に、「典礼と信心を考える」(全国典礼担当者会議)の記事が掲載されていました。
その中で、ザベリオ宣教会の司祭が「信心と言う言葉は、イタリア語でピエタ(pieta)。聖霊の七つの賜物の一つであることや、
子が親に対して抱くような熱烈な愛を意味することや、信心には、信仰から生まれる熱い心の表れと言う意味があると説明されていた。
それで思い出した聖マリアの連祷に、「信心のすぐれた器、われらのために祈り給え」と言う祈りがあります。
つまり、信心の最も深い模範がマリアさん、そのマリアさんに倣えますようにとの祈りなのですね。
甲子園教会のあの大理石の十字架から下ろされたわが子イエスの亡骸を抱く母マリアの像をみんな「ピエタ」と親しんでいます。
どうしてピエタなの。
それは、わが命よりも大切なイエスが死んでも、なお神の配慮に信頼するマリアの信仰の敬虔な姿から、ピエタと呼ばれるようになったのです。
あのピエタは、旧約のアブラハムのわが子イサクのいけにえと同じ心。神はアブラハムに言います。
「あなたは神を畏れる者であることが、今、分かった」。それでイサクは助かります。
そして、アブラハムは神への畏敬の心で、その場所を、主は備えてくださる(ヤーウエ・イルエ)と名付けました。
マリアは、わが子が死んでしまったのに、なお、ヤーウエ・イルエ(主は備えてくださる)と神の導きに、委ねられた信仰の方なのですね。そのマリアの信仰に倣えるように、ロザリオの月は、私たちを招いてくださっているのです。
皆さん、信心のすぐれた器、マリアに倣えるように、祭壇に集い、祈りましょう。
