『辛いと幸い』
ラファエル 松本武三 神父
一年で最も寒さ厳しい2月。でも、雪に埋もれる大地は、あたたかな春への種が、力を蓄え、じっと忍耐して、息吹きの時を待っている。
人の世も、私たちも自然界に倣って、困難な時にこそ、逞しく、豊かなものを生み出せる時に向って忍耐し、
エネルギーを蓄えることが出来れば幸いですね。
それで、レオ池長大司教は、何をするにも、ひとり一人が、まず、沈黙の祈りを神に捧げるように願っておられるのではないでしょうか。
先日、甲子園教会に30名ほどの若者が集い、和気藹々、熱心に分かち合っていました。
その中で、ゲーム感覚で、この一年を漢字一文字で表すなら、どんな漢字を選ぶかと語り合っていたそうです。
その時わたしが通りかかったので、青年の一人が、神父さんなら、どんな漢字を選びますかと質問されたのです。
何のことかわからなかったので、説明を聞いて、しばらく考えて、「幸」と言った。この一年わたしも、幸いな一年にしたいなあと思っているし、
今日の主日のミサの福音が、幸いなるかなの山上の垂訓のみ言葉だったからかも知れない。
そして、みんな手のひらに「幸」を書いてみてといい、幸いの上の十字架を消してみて。
そうすると、「辛い」と言う漢字になるでしょう?
「幸」―「+」=「辛」 ・ 「辛」+「+」=「幸」。大切なことは、十字架といつも繋がっていること。
十字架のイエスの愛に倣う信仰を育てることです。
殉教者のことを考えればよくわかる。どうして殉教者は死んで行けたのでしょう。
彼らのうちに、イエスへの十字架の贖い、愛の信仰が豊かにあったからでしょう。死の苦しみの辛さより、
イエスへの愛の信仰、生き方が、辛さより、喜びと希望が勝っていたからでしょう。その生きざまは、まさに、「召命」の心そのものです。
皆さん、十字架のしるしは、
単なる形式的なものではないのですよ。
すべてに打ち勝つ、神の力のしるしなのですよ。十字架のしるしをして、素直に、信じて、これからも、もっともっと祈りましょう。
それで、その時、青年に偉そうに言ったのです。愚かにも。
自分の人生を賭けられるものを、真剣に探してくださいと。
アルバイトの生き方は、命の火が燃えにくい。あなた方は、
イエスから、命に燃える招きを受けているのです。頑張ってと。
自分で、そうあれればと思っているので、お許しを。
(最近のマイ・スケッチです)
