iՃbZ[W
ē
~Tƍu
̐lƉv
̂m点
ANZX
sʐ^ipj
TCgɂ‚N
『信仰年は、バトンタッチの幸い』
ラファエル 松本武三 神父
「あなたがおなかに きてくれたから みんなのやさしさに 包まれる毎日
 私たちがもらった たくさんのやさしさを ひとつひとつあなたに 伝えていくから
今度はあなたが 誰かにやさしさを お返ししてね 」
 新聞に記載されていた「詩」。お腹に赤ちゃん宿した女性の幸せ、希望に満ちた喜びが伝わってきます。 「丈夫な赤ちゃんを産んで、お幸せにね」と、声をかけたくなります。

 そうそう、赤ちゃんのことで思い出しました。京都5条にある「お世継地蔵」のことを。「お世継ぎ」という 言葉に惹かれて、ぶらり暇にまかせて会ってきました。平日の昼下がり、穏やかな空気に包まれていました。 旅のカップルが手を合わせて祈っていました。女性のお腹が膨らんでいました。愛され、祈られながら、この 世に生まれる赤ちゃんは幸せです。悲しいニュースばかりが流れる中で、嬉しくなりました。

 「お世継ぎ」は、「バトンタッチ」。 今日、その「お世継ぎ」の問題で揺れています。皇室のお世継ぎの こと、企業の後継者選びのこと、伝統ある家を如何に継承していくかと言ったことなど。 また、私たちカトリック教会でも、司祭の高齢化.司祭を志す神学生不足で悩んでいるのですから。

 すべての道は、ローマに通じると言われ、栄えたあのローマ帝国も、「バトンタッチ」できずに、やがて滅 んでいきました。そのローマ帝国が栄えている頃、小さな国の小さな民の最も小さな集団が、国を追われて、 ローマに流れていき、困難を乗り越え、豊かに成長していきました。キリスト信者たちです。
 そして、イエスの命の道を「バトンタッチ」「お世継ぎ」する使命を受けた、最初の教皇ペトロは、すべて をイエスにささげ、後の教皇に「バトンタッチ」し、殉教しました。紀元67年のことでした。 今日、そのペトロの墓のうえに、壮麗な聖ペトロ大聖堂がそびえ、世界中から人々が訪れています。

 そして、時は流れ流れて、2013年。イエスから、委ねられた使命を受けた最初の教皇ペトロから、次々と 「バトンタッチ」され、言わば、「お世継ぎ」され、今、ベネディクト16世が、その使命をはたしておられる。  「バトンタッチ」「お世継ぎ」と、「創立の精神」「初心忘れず」は同じ心。人の二つの手。
 「お世継ぎ」は「初心を忘れず励む」人の手に受け継がれるもの。「バトンタッチ」は「創立者の魂」に生き、 応えようとする者に注がれるのでしょう。

 「信仰年」を生きる私たち。二つの手で、しっかりと「明日の自分、初子」を抱く幸いが育ちますように。