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『聖母月』
ラファエル 松本武三 神父
 5月は聖母月。命を産み、育て、守り導いてくれた、私たちひとり一人の母のために、 そして何よりもマリアさんに、「ありがとう」の心を贈りましょう。
 聖書の中の二人の命の母、エバとマリア。
 肉のアダムとエバ、イエスとマリアのことを霊のアダムとエバと言ったりしますが、 それは人類の祖先アダムとエバが、蛇の誘いに負けたのに対し、マリアとイエスが、罪をきよめ、死から命を、 人類をまた楽園に呼び戻し、救いの家族をもたらしてくれたことを伝えるためです。

 肉のアダムとエバは、楽園の命の木から、実を取って食べ、神が近づかれた時、思わず木陰に隠 れてしまい、「ごめんなさい」とあやまれず、アダムはエバのせいに、エバは、蛇のせいにして言い訳します。 これが罪の起こり、「原罪」の話ですが、まさに、私たちの過ち多い生活の姿です。
 一方、マリアは、弟子たちが、我が子イエスを裏切り逃げてしまったのに、そんな弱い弟子たちに深い愛情を持って、 忍耐強く受けとめ、ともに祈られた方。そして、血縁の家族ではなく、霊の新たな信仰の家族誕生へと導かれた愛の母です。
 それで、教会は、聖母マリアの深い愛の心にならうため、ご復活の祝いのなか、新緑の5月を「聖母月」として祝っているのです。

 そして母の日は、教会の誕生とも言える、聖霊降臨、愛の心のお祝いです。 「命の息をいただき、再び生きる者となった」幸いな喜びのお祝いです。
 イエスを裏切った弟子たちの心の状態は、まさに仮死状態でした。そんな弟子たちに対して、 マリアは、かつて、天使の声に、「わたしは主に仕えるものです」と言って、キリストの母となったように、 我が子イエスに代わって、出来の悪い弟子を受けとめ、一緒に祈られた愛の母です。
 それで教会は、マリアのことを清い謙遜な、無原罪の聖母マリアとして敬い、祝うのです。

 皆さん、「ごめんなさい」という心を失うと、心の部屋は汚れてきます。 マリアは「はい」という心で、汚れを追い払う救いの風を贈ってくださいました。
ありがとう、マリアさま。
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(今話題の丹波の竹田城です)