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『ロザリオの祈りは、花咲か爺さんの心 !』
ラファエル 松本武三 神父
10月はロザリオの月。ロザリオの祈りは、バラの花束、愛の贈り物、愛の祈り。
わたしは何となく、昔々、人に棄てられ、いじめられていた可哀想な子犬が、可哀想にと助けられ、「白」と いう名前を付けて、子どものように可愛がる「花咲か爺さん」の絵本の優しい爺さんの振舞い、心のような気がします。

 ある日の事、白がワンワンと吼えるので、鍬で地面を掘ってみると、何と小判がザクザク出てきたのです。 これを見た欲張り爺さん、わしもと思い、その犬貸してくれといって、白を無理やり引っ張っていきます。白 がワンワンと吼えると、地面を掘ります。ところが、ガラクタばかり出てきたのです。怒って、犬を殺してしまいます。

 そして、優しい爺さんが餅つきします。すると、また小判が、ザクザク餅の中から出てきたのです。 欲張り爺さん、それを見て、またまた、その臼貸してくれといって餅をつきます。
ところがまたガラクタばかりです。欲張り爺さん、怒ってその臼燃やして灰にしてしまいます。
 優しい爺さん、悲しみながらその灰を取り、「白や、天国で幸せになるんだよ」と言って灰を撒きます。 すると灰は風に舞い、木にくっ付きます。すると何と、その木に花がいっぱい咲くのです。 通りがかったお殿様、その花見て、何と見事な花じゃと言って褒めます。
 欲張り爺さん、こりもせず、またまた、わしもとばかり、灰を撒き散らします。 すると、その灰が、お殿様の目に入り、こっぴどく叱られると言う話しです。

 この話しよく考えてみると、人生模様そのものです。人の暮らしは、皆似たり寄ったり。
でも、それで、幸せと思う人もいれば、何と不幸な人生と嘆く人もいます。同じことをしているように見えて も、隠れたところで何かが違うのです。ロザリオの祈りも同じ事。

 花咲か爺さんの「白」という名の可哀想な犬は、悩み苦しむ私たちの姿のような気がします。 暮らしの中で、困っている方への思いやり、わたしに何か出来ないかしらと思う、相手への優しさに、 花咲か爺さんのように、幸せな花が咲くのでは、ないでしょうか。

 ロザリオの月、ごミサの前に捧げるロザリオの祈り、 優しい花咲か爺さんのように、心から捧げましょう。