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『心の銭湯』
ラファエル 松本武三 神父
 私は、最近、銭湯が好きになって、週に何度か、銭湯に行き、露天の湯で温まり、汚れを落とし、さっぱり と幸いな心いただき、楽しんでいます。

 体の汚れは、湯で洗い清められますが、心の汚れは、どうすれば、清められるのだろう。
心が、どんな嫌なことがあっても、負けないで、忍耐しながら耐え、明日の幸いを見つけ、喜ぶ。そうなれれ ば幸いだな。神さまの愛の水で、心を洗い清められたいですね。

 小さい子どもの頃を思い出します。外で遊んで、汚れて家に帰ってきた時、お母ちゃんが、「まあ、こんな に汚して、」と言いながら、汚れた服を脱がせてくれて、「風呂沸いているから、綺麗に洗ってきな。」と、 お尻叩かれ送り出される。懐かしいなあ。
 天国でお母ちゃん、言っているだろうな。「武三、みんなに反対されて、外国のキリスト教といった、変な 宗教に入って、幸せにやってるか。」
だから、祈る時、心の中で、「お母ちゃん、神父になって、40年過ぎたよ。失敗ばかりだけれど、ますます 好きになっているよ。」と。

 新約聖書のヤコブの手紙で、ヤコブは言われます。
「私の愛する兄弟たち、良い贈り物は、上から、光の源である御父から来るのです。心に植え付けられた御言 葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うのです。」
 まさに、神さまとは、私を愛してくださる親。その親なる神さまに、イエスを心深く慕う心が育つように、 頑張りますから、お導きくださいと祈るのです。

 それで、私は、よく、私の心の癒し、再スタートの力をいただくために、私の心の銭湯といった、北海道の 函館にある男子のトラピスト修道院を訪問します。
 この修道院の裏山から、修道院、津軽海峡の美しい眺めは、私の癒しの眺めです。 修道院の静けさの中で、わがままな荒れる心が癒され、さあ、頑張るぞと言った力を頂くのです。

 この修道院は、「灯台の聖母大修道院」。人生の荒波の中で、悩み、迷う私の心の銭湯。
 イエスを愛し、育てられた聖母マリアのイエスの光照らす心の灯台。

 また時間見つけ、訪問したい。
 アーメン。