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エマオへ旅する弟子
ペトロ 梅原彰神父
 イエスの復活された日曜日の夕方、二人の弟子の顔は暗く、悲壮感に満ちていました。 それもそのはず、三日前に大きな期待を持っていた先生が、十字架にかけられ亡くなられたのです。 彼らはイエスの説教を聴き、イエスが病人を癒し、死者を甦らせ、飢えた人にはパンを与え、イエスの力強さに感服していたのです。 この方こそ救い主メシアであると信じていました。しかしイエスの十字架上の死によって、すべての希望が崩れ去りました。 彼らはすべての希望を失い、諦めて、光のない生活に戻ろうとしていました。 しかし彼らはイエスのことを忘れることができず、重苦しい足どりで夕暮れの道を歩きながらイエスのことを語り合っていました。 突然、見知らぬ旅人が、彼らの傍そばを歩いてくださっていたのです。 その旅人こそ実はイエスであったのですが、彼らは見知らぬ旅人に「私たちはあの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました」と言ったのです。 そこで旅人は彼らに「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことをすべて信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないのか」と。 そして旅人は、モーセとすべての預言者の書から始めて、聖書全体にわたり、そのメシアについて書いてあることを説明したのです。 二人の弟子が後で語り合ったように、この説明を聴きながら、彼らの心は燃え上がり始めました。 三人がエマオに着いた時、ちょうど日が沈みかけていました。旅人は先に行こうとする様子だったので、二人は「いっしょにお泊りください」と旅人を家に泊まるように招くのです。
 食卓に着くとパンが出されました。すると突然、客として招かれた旅人がパンを手で分け、彼らに渡します。 するとその瞬間に二人の目が開け、この旅人が復活したイエスにほかならないと彼らは悟るのです。 弟子たちに復活の喜びをもたらすというイエスの目的は達成され、その瞬間、イエスは彼らの面前から消えたのです。 この二人の弟子の心には大きな喜びの炎が燃え上がりました。彼らは長い旅の疲れを忘れ、エルサレムに走り帰ります。 悲しみの心でエルサレムを去って行った時の二人の姿と、今喜び勇んで走り帰った彼らの姿との間には、どれ程の相違があったでしょうか。 彼らは主がパンを手で分けた時、イエスだと分かった次第を他の弟子たちに話しました。 弟子たちは皆すでに興奮しており、「本当に主は復活して、シモン・ペトロに現れた」ということを告げ、復活の喜びを分かち合ったのです。
現代の私たちキリスト者も「主は復活された」と喜びを分かち合いたいと思います。