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復活祭のよろこび
ペトロ 梅原彰神父
 復活祭に先立つ四旬節、受難節に私たちは私たちの救いのため、自分のいのちを十字架につけられ亡く なられたイエスを思い、痛悔し、その愛に感謝します。
 復活徹夜祭には5名の方が洗礼の恵みを受けられます。その日、聖堂前に集まった信徒の前で、火と ろうそくを祝福します。明かりを消した暗い聖堂に、火のついた復活ろうそくを掲げ、「キリストの光」 と三度歌いながら入堂します。次の瞬間、闇は光に変わり、闇の力はなくなり、死を滅ぼし、復活のい のちが生まれるのです。各自が一本のろうそくを持っていて、次々とキリストの光から火を分けてもらう のです。暗かった聖堂は、多くのろうそくの光に照らさ復活の賛歌が歌われ、40日ぶりにアレルヤの歌が歌われ、 教会の鐘も栄光の賛歌が終わるまで鳴り響きます。キリストが死に打ち勝って復活し、 今も私たちとともにおられることを確信し、よろこびを分かち合うのです。
 イエスはエルサレムの町の外、ゴルゴダの丘で、十字架につけられ亡くなりました。 弟子たちはショックを受け、途方に暮れ、失望して、自分たちのいのちを守るため部屋に隠れ、恐れおののいていました。 イエスに対する期待が大きかっただけに、その失望も大きかったのは共感できます。
 弟子たちが身を潜めていたのとは反対に、何人かの婦人たちが、イエスの墓へ出かけたのです。 慌ただしい埋葬しかできなかったので、もう一度、遺体に香油を注ぐためでした。 ところが墓に着くとびっくりしました。イエスの墓は、岩に掘った穴の入り口を大きな石で塞いであったのですが、 その石が横に転がり、墓が開け放たれていたのです。 婦人たちが恐る恐る中に入ってみると、イエスの遺体がありません。 敵対者がどこかに捨ててしまったのかと途方に暮れていると、突然、天使が現れ、「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。 あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。さあ行って弟子たちにこう言いなさい。 『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』と」。 婦人たちは墓を飛び出し、弟子たちのところに走っていきました。以上のことは福音書に書かれています。
 マルコ福音書には、イエスは「復活する」と書かれています。これはイエスが人間であるだけでなく、 神でもあり、ご自分の神性の力によって復活したということです。 イエスはアダムによってもたらされた闇(死)を打ち破り、光(いのち)を再び人類に与えてくださったのです。 したがって、私たちは、復活された神の御子イエスが私たちとともに生きてくださっていることを固く信じ、 よろこびをもって人生を歩んで行くことができるのです。